全9選手と交渉権を獲得した、カープ・2026年ドラフト会議。即戦力と期待される内野手や、打撃が魅力の捕手など、未来を担う新戦力のルーキーイヤーに注目が集まっている。

 今や球界を代表する選手たちも、プロ入り当初はルーキーだった。ドラフト指名を受けた当時の思いや、プロの世界に飛び込んだばかりの頃の姿を振り返り、その成長の軌跡をたどる。

 今やメジャーリーグでも活躍する鈴木誠也。2012年のドラフト会議でカープから2位指名を受け、背番号51を背負ってプロ野球選手としての第一歩を踏み出した。入団当初、どんな目標を掲げ、何を思い描いていたのか。プロ入り当時の言葉とともに、その原点を振り返る。

入団当時は『51』を背負っていた鈴木誠也

◆ 背番号51からスタートしたプロ野球人生

 鈴木誠也は学生時代から、知る人ぞ知る選手だった。

 小学校低学年のときに地元・東京の荒川リトルで野球人生をスタートさせると、中学時代はエース兼4番として荒川シニアを全国大会に導いた。小学生時代から通常の練習だけではなく、父親と共に夜間練習も行うなど、当時から現在を思わせるストイックさを漂わせていた。

 『強豪校を倒しての甲子園出場』を目指して進学した二松学舎大付高では、1年時からレギュラーとして試合に出場。秋からはエースナンバー1を背負い、本格的に投手として頭角を表した。150キロに迫るストレートを武器とする速球派投手として鳴らす一方で、打撃面も際立っていた。高校で積み重ねた本塁打は通算43本。甲子園は不出場、2年夏の都大会4強が最高成績だったものの、ドラフト前には複数のプロ球団が注目するまでになっていた。

 「高校時代はずっとプロを目指していましたし、プロしか考えていませんでした。(ドラフト当日は)関係者の方から『広島2位指名』という連絡があって、みんな喜んでくれました。下位指名だと思っていたので本当にビックリしましたし、頭が真っ白で実感が湧きませんでした」

 高校時代から鈴木を追い続けてきた尾形佳紀スカウトは打力と走力を高く評価し、カープは鈴木を〝内野手として〟指名した。1年目の春季キャンプは二軍スタートではあったものの、大器の片鱗を見せつけた。かつて前田智徳が背負っていた背番号『51』のユニホームに袖を通すと、春季キャンプ2日目には早くも一軍の練習に帯同。一日限定の参加だったとはいえ、野村謙二郎監督(当時)を筆頭に首脳陣から高い評価を受けた。

 「何でもいい。『プロにいたんだ』という記録を残せる選手になりたい」

 プロ入り直後、そう語っていた鈴木は着実に力をつけ、プロ入り4年目の2016年にブレイクを果たすと、カープの主軸打者に成長。首位打者2回、最高出塁率2回、ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞5回。東京五輪では侍ジャパンの一員として金メダル獲得にも貢献した。入団当初に思い描いた目標を超え、日本を代表するスラッガーへと成長を遂げた。

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