◆「誘いを断られてうれしかった」

 金本が入団4年目か5年目のキャンプで、二人は宿舎の風呂で一緒になった。まだ夕刻であったため、「今夜、メシでもどうだ」と苑田が誘いの言葉をかけると金本は、「やめておきます」と即答してきた。「まだ僕は体ができていませんので、アルコールなどは控えています」。その理由の言葉が、苑田にはうれしかった。

 「『よっしゃ!』と思いましたよ」

 金本の真意はすぐに分かった。アルコールを飲むか飲まないかの問題ではない。自分の体や状況を考えて決断できる姿が頼もしかったのである。

 「誘いを断られて嬉しかったです。こういう考えができることが素晴らしい。金本の練習ぶりは本当に一生懸命でした。私は、髙橋慶彦や山崎隆造の猛練習ぶりを見てきました。それはすごいものでした。金本は、それに負けないくらいの練習をしていました」

 プロ21年、金本は数々の記録だけでなく、伝説の『鉄人』として野球ファンに強烈なインパクトを残した。彼の魅力は、走攻守の三拍子だけではない。妥協なき練習への姿勢、リーダーシップ、体の強さ……。

 それらの項目を全て細かく確認してから獲得を決めたわけではない。あの、座りながらのティー打撃の光景を見たとき、金本の評価は決まったのである。

 減点法の評価でもない。他の選手と比較するわけでもない。圧倒的な長所を最大限に評価する。苑田は長所から短所をマイナスして得点を計算するわけではない。評価項目ごとに他の選手と比較するわけでもない。『絶対的加点法』で選手を評価しているようである。  

『一目惚れ』。情熱的ではありながらも、論理的根拠に乏しいような言葉の響きも含んでいる。しかし、明確なモノサシがなければできないことである。経験と情熱の積み重ねでベテランスカウトは『モノサシ』を手にしたのである。

●苑田聡彦 そのだ・としひこ
1945年2月23日生、福岡県出身。三池工高-広島(1964-1977)。三池工高時代には「中西太2世」の異名を持つ九州一の強打者として活躍し、64年にカープに入団。入団当初は外野手としてプレーしていたが、69年に内野手へのコンバートを経験。パンチ力ある打撃と堅実な守備を武器に75年の初優勝にも貢献。77年に現役引退すると、翌78年から東京在中のスカウトとして、球団史に名を残す数々の名選手を発掘してきた。現在もスカウト統括部長として、未来の赤ヘル戦士の発掘のため奔走している。

●金本知憲 かねもと・ともあき
1968年4月3日生、広島県出身。広陵高-東北福祉大-広島(1991年ドラフト4位-2002)-阪神(2003-2012)。プロ4年目の1995年に外野のレギュラーとして24本塁打を記録。初のベストナインを受賞した。以降カープの主力として活躍し、2000年には史上7人目のトリプルスリーをマーク。2001年には1002打席連続無併殺打の日本記録を樹立した。2002年オフにFA権利を行使し阪神に移籍。勝負強い打撃を発揮し、2度のリーグ優勝に大きく貢献した。1999年から2010年にかけて連続試合フルイニング出場(1942試合)の世界記録をマーク。2012年に現役引退。