カープは現在、9名のスカウトが逸材を発掘するために全国を奔走している。そのスカウト陣をまとめているのが、苑田聡彦スカウト統括部長だ。苑田スカウトはかつて勝負強い打撃でカープで選手として活躍し、初優勝にも貢献。引退直後の1978年から現在までスカウトとして長年活動を続け、黒田博樹を筆頭に数々の逸材獲得に尽力してきた。

 本記事では、書籍『惚れる力 カープ一筋50年。苑田スカウトの仕事術』(著者・坂上俊次)を再編集し、苑田聡彦氏のスカウトとしての眼力、哲学に迫っていく。

2000年にトリプルスリーを達成するなど、打線の主力として活躍した金本知憲氏。

◆座りながらのティーバッティングを見て、成長を確信

 その選手は椅子に座ったままバットを振っていた。ケガをしているようだった。聞けば、大学3年生、名前は知らない。しかし苑田は、この選手が欲しいと思った。

「座りながらのティー打撃でしたが、リストが強いのが印象的でした。こねずにスムーズにバットが出ていました。これは良いバッターだと思いました」

 技術だけではない。練習をしている『目』も強烈だった。

 「気持ちの強い人は、打つ瞬間に目にグッと力が入ります。厳密には打つ瞬間、打者は球が見えていないはずですが、彼は、その瞬間まで見ているような目でした」

 東北福祉大は定期的に訪問するようにしていた。安定して好選手を輩出する名門校だからである。

「これは、誰ですか?」

「広島の広陵高からきた金本知憲です」

 この名前を忘れることはない。苑田は、すぐに球団に連絡しようと思った。携帯電話も普及していない時代だ。大学で電話を借りて球団に報告をした。この日は、故障で十分な練習は見られない。だから、苑田は「1週間後に再びきます」と言ってグラウンドをあとにした。苑田は、自分の眼力を誇ろうとはしない。むしろ、金本のすごさのみを力説する。

 「確かに、当時は無名で、金本といってもピンとはきませんでした。でも、あれは誰が見ても分かりますよ。あのリストの使い方、これができている選手は99%打てますよ。理にかなった運び方ができていました。(プロに進み)木製バットになっても打てると確信しました」