カープの正捕手として長らくチームを牽引した石原慶幸が、今シーズン限りでの現役引退を決断した。赤ヘル一筋19年。低迷期から球団初のリーグ3連覇に至るまで、扇の要として常に投手陣を支え続けてきた。

 振り返れば、石原はアマ球界ナンバーワン捕手という評価で入団したものの、プロ1年目はプロの壁に阻まれた。しかし、2年目は西山秀二や木村一喜を抑え116試合に出場するなど、若くして正捕手取りへ大きく前進した。ここではプロ2年目当時のインタビューを改めて振り返っていく。

(広島アスリートマガジン 2003年10月号掲載)

東北福祉大を経て、即戦力捕手として入団した石原慶幸選手。

― 石原選手が指名された2001年のドラフトで、カープは石原選手と山本翔選手(東筑高)の二人の捕手を指名しました。とくに石原さんは即戦力と言われての入団です。
「もちろん、期待に応えたいと思って入団したんですけど、そんな簡単にはいかなくて1年目は全然ダメでした…」

― 1年目は主にファームで活躍。一軍での出場機会は終盤の5試合にとどまりました。やはり、プロの壁は厚かったですか。
「いや、特に…。なんていったらいいですかね、球のスピードやキレはもちろん違うんですけど、想像を超える世界ではなかったです。でも、初打席はガチガチで、自分でもはっきりと覚えていないくらい…それほど緊張していました」

― 高校3年の夏、県立岐阜商高で甲子園に出場。その時からプロのスカウトが注目していたと聞きます。プロはいつ頃から意識されていたのですか?
「本当にもう、まさか自分が入れるとは思ってもいませんでした。プロを意識し始めたのは、ほんとドラフト直前になってからです」