カープの「バリュー」

 「広島カープはわしらの希望の星じゃ」「カープの野球は広島市民みんなの野球じゃ」

 これは『はだしのゲン』の作者·中沢啓治氏の『広島カープ誕生物語』に描かれているセリフだ。

 まさにカープは原爆からの復興の象徴であった。

 1975年のカープの初優勝時、山本浩二は人一倍涙したという。原爆投下の翌年、広島に生まれた山本はカープという球団が持つ意味を最も知っている選手だろう。

 その後、山本は「ミスター赤ヘル」として本塁打王4回、打点王3回を獲得し、カープを3度の日本一に導いた。山本はファンとして、選手として、監督としてカープを支え続けたのだ。

 この山本とともにカープを牽引した“鉄人”衣笠祥雄もまた、ファンを第一に考える選手だった。

 1979年、連続試合出場を続けていた衣笠は巨人の西本聖投手から死球を受け、肩甲骨を骨折するも、翌日の試合に代打出場し、3球フルスイングで三振した。

 有名な「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のためにスイングしました」のコメントはカープファンの心を震わせた。

 「最後の1球をカープファンの前で」。メジャーリーグの高額オファーを断り、カープに復帰した黒田博樹の言葉もカープファンは生涯忘れないだろう。

 山本、衣笠、黒田、永久欠番となった彼らの偉業は、現代ビジネス·マーケティングで求められるファン(顧客)との価値共創であったといっていい。

 「耐雪梅花麗」。

 厳しい環境の雪の下で地道に育て、麗しき花を咲かせて、ファンとともに喜ぶ。このかけがえのないバリューがカープの「勝ちの原理」なのだ。

 今シーズン膨らんだ赤いつぼみの開花は間もなくだろう。楽しみに待っておきたい。

追伸

「最後はカープで投げたい」。ニューヨークで聞いた黒田の言葉に耳を疑った。ヤンキー·スタジアムでの黒田はカッコえかったが、マツダスタジアムの黒田博樹はぶちカッコえかった。これがカープの魅力なのだろう。
また、カープの旅をご一緒できることを楽しみにしています。

                                   高柿 健

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高柿 健(たかがき けん)
広島県出身の高校野球研究者。城西大経営学部准教授(経営学博士)。星槎大教員免許科目「野球」講師。東京大医学部「鉄門」野球部戦略アドバイザー。中小企業診断士、キャリアコンサルタント。広島商高在籍時に甲子園優勝を経験(1988年)、3年時は主将。高校野球の指導者を20年務めた。広島県立総合技術高コーチでセンバツ大会出場(2011年)。三村敏之監督と「コーチ学」について研究した。広島商と広陵の100年にわたるライバル関係を比較論述した黒澤賞論文(日本経営管理協会)で「協会賞」を受賞(2013年)。雑誌「ベースボールクリニック」ベースボールマガジン社で『勝者のインテリジェンス-ジャイアントキリングを可能にする野球の論理学―』を連載中。