◆若手育成から優勝へ

 球団創設以来20年、カープは下位に低迷した。1960年代後半、監督に就任した根本陸夫氏は若手育成のチームづくりへと舵を切った。これが山本浩二、衣笠祥雄といった第一次黄金期の中軸を育てることにつながった。

 彼らが力をつけ始めた1975年、ジョー·ルーツ監督の意識改革と古葉竹識監督の緻密な戦略によってカープは初優勝を成し遂げたのだ。目的意識が高まったチームは1979年、究極の危機を「江夏の21球」で乗り越え、初の日本一にも輝いた。

 しかし、1991年の優勝後、カープは大きな“フシ”を迎えた。四半世紀もの間、優勝から遠ざかったのだ。この暗黒期の潮目を変えたのも野村謙二郎監督、緒方孝市監督監督の若手起用、育成への決断だった。その結果が2016年からの3制覇といっていいだろう。

 もちろんトリガーとなった黒田博樹 新井貴浩の復帰は忘れてはならない。彼らのカープに育てられたというチームへの思いと経験が、カープに足りなかった最後のピースを埋めたことは間違いないだろう。

 「大木がなくなれば、そこに陽が差し、また新しい芽が出る」。鈴木清明球団本部長は選手の循環を前向きに捉え、若手選手の成長を喜んだ。

 「他球団と同じことをしたら、カープの価値はなくなる」。3連覇した緒方孝市前監督が語るように、カープの育成(チームづくり)は、家族のような「チーム」と「選手」と「ファン」が互いに支え合ってきた70年の温(ぬ)きい「バリュー」がつまっているのだ。