各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。

 ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。

 今回は、1996年のドラフト1位(逆指名)でカープに入団。先発やリリーフで活躍し1年目には新人王を獲得。現在は一軍投手コーチを務めている澤﨑俊和の獲得ヒストリーをお送りする。

1年目から12勝をマークし、新人王に輝いた澤崎俊和投手。

◆澤﨑のスライダーは、キレ・コントロール共に抜群でした

 1996年のドラフト1位で指名したのが青山学院大の澤﨑俊和です。私が彼を見始めたころは大学でエースではありませんでした。その時は倉野信次(元福岡ダイエーホークス)がエースで、倉野のほうが有名でした。

 しかし澤﨑は、3年秋の東都大学野球リーグ戦で最優秀投手賞を受賞し頭角を現すと、4年生になった1996年にはエースとしてチームを引っ張る事になりました。春のリーグ戦ではチームとして9勝し優勝を飾りましたが、そのうち澤﨑は7勝を挙げる大車輪の活躍でMVPを受賞しました。優勝した当時、澤﨑の同期生には、倉野以外に井口資仁(千葉ロッテ監督)や清水将海(元千葉ロッテ)といった選手がいました。

 そして春のリーグ戦が終わったときに、当時の渡辺スカウトから「黒田ともう1人の逆指名を澤﨑に絞って交渉をする」という話を聞きました。実はそれまで逆指名を澤﨑か清水のどちらにするのか考えていたんですが、春の活躍を見て彼にすることにしました。

 頭角を現し始めたとき、それまでと変わったなと思ったことは球速はもちろん上がりましたがコントロールが抜群に良くなったことです。このコントロールがあればすぐに即戦力として一軍で活躍できるだろうなと思いました。逆にもう1人の逆指名で獲得した黒田博樹(専修大学)は即戦力としてではなく、じっくり育てて1~2年後に一軍に上がってきてほしいと考えていました。澤﨑と黒田は同じ大卒ですが、二人に対する球団の考え方は違っていました。

 澤﨑の一番の持ち味はスライダーです。曲がりかたはそんなに大きいものではありませんでしたが、ストレートと同じくらいのスピードで手元で横に小さくスライドするものでした。今で言うカットボールに近い感じのボールで、キレ、コントロール共に抜群でした。

 また、シュートも投げてはいましたがインコースに投げているだけと言う程度で、スライダー程ではありませんでした。しかし、シュートを投げる事によりストライクゾーンを最大限に活かしたピッチングができ、スライダーがより効果的に投げられていたのではないかと思います。

 そして投球フォームは、当時の苑田スカウトが言っていたように北別府に似ている感じでした。球速は北別府のほうが速かったですが、スライダーに関しては決してひけを取るものではありませんでした。

 実際に彼に会って話をしてみた印象ですが、真面目で礼儀正しく自分の気持ちをはっきりと口にする選手でした。逆に黒田は大人しくてあまり口数が多い方ではなかったです。ピッチングスタイルにしても性格にしても二人は対照的でしたね。

 ドラフト1位で入団後、期待通り開幕一軍入りを果たすと、4月10日の神宮球場でのヤクルト戦でプロ初勝利を飾りました。この日はヤクルト3連戦の3試合目で3試合連続のリリーフ登板でした。9回裏同点という場面でマウンドに上がり先頭打者の古田にヒットを打たれますが、その後の打者から三者連続三振を奪うなど延長11回までヤクルト打線を無得点に抑えての初勝利でした。

 4月は中継ぎとして投げていましたが、5月からは先発として登板するようになりシーズン通算38試合・12勝8敗・防御率3.74で新人王を獲得しました。獲得後『おめでとう。この賞をひとつの糧にしてこれからも頑張ってくれ』と声を掛けたことをよく覚えています。

【備前喜夫】
1933年10月9日生-2015年9月7日没。広島県出身。旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987~2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。

【澤﨑俊和】
1974年9月21日生、千葉県出身。志学館高-青学大-広島(1997年ー2005年引退)。1996年ドラフト1位(逆指名)でカープに入団。プロ1年目から12勝を挙げる活躍で新人王を獲得した。しかし以降は怪我に泣き、2005年に現役を引退。2006年からはカープの投手コーチに就任。一軍、二軍、三軍、すべての投手コーチを経験し、2020年に13年ぶりに一軍投手コーチに復帰した。