今年カープが球団創立70周年を迎えたことを記念し、新井貴浩氏にカープファンだった幼少期も含め、カープにまつわる思い出を語ってもらう本連載。今回は、新井氏が忘れることのできない打席である、カープ復帰後初打席にまつわる思い出を語る。

2014年11月14日、カープ復帰会見時の新井貴浩氏。

◆「帰りたいけど、帰っていいのかどうか…」。悩みに悩んだカープ復帰

 今回は僕自身のことになるのですが、2015年にカープ復帰後初打席の話をメインにお話しさせていただきます。まずは、復帰後初打席を迎えるまでの思いから触れていきます。

 僕は一度カープを離れていますが、2007年オフにチームを離れたときは『もう二度とカープのユニホームを着ることはないだろう』と思ってカープを出ていきました。ですが、2014年オフに阪神を自由契約になった後、まさかカープ球団から「もう一回帰ってこい」と言っていただけるなんて、夢にも思いませんでした。

 ただ、すごく悩みましたよね。当時の率直な思いとしては『帰りたいけど、帰っていいのかどうか』というものでした。それこそ、FAでカープを出ていくときくらい、いや、それ以上に悩みました。『帰りたいけど、帰ってはダメだ』という自分もいたんです。なぜそう思ったかというと、一度出たときに、すごくバッシングもありましたし、カープに復帰しても応援されないんじゃないか、逆に帰ってもブーイングされるんじゃないか……と思っていたんです。ですが熟考した結果、カープに復帰すると決断したときは、『最後はカープのために頑張ろう、応援してくれなくても、それは一回出ていっている選手だし仕方がない』と、そこは自分の中で割り切っての復帰でした。

 2014年11月には復帰会見で久々にカープのユニホームを着ましたが、『俺、またカープのユニホームを着てるよ』というような、どこか他人事のような感覚でしたね。もちろんうれしい気持ちはありましたし、緊張をしているし、信じられない気持ちだとか……いろんな気持ちが交差していました。

 2015年の僕は春のキャンプから、ケガをしても良いと思うくらい自分を追い込みました。当時37歳でしたが、とにかくもう一回体をいじめて、負荷をかけて、とことん追い込んでいこうと腹を括って練習していたんです。もしもケガをしたら、自分はそこまでの選手、そこで終わりだと。そういう思いでした。

 状況的には当然ポジションも何も保証されていません。とにかく代打でも、ベンチでの控えであっても、何でも良いからチームの力になりたいと。その気持ちだけで僕は準備をして、開幕を迎えていました。

 そういういろんな思いがあってのカープ復帰でしたし、当然ながら公式戦での復帰後初打席をどんな状況で迎えることになるのか、全く想像もできませんでした。
(後編に続く)

●2015年シーズンの新井貴浩氏は?  
2014年オフ、阪神を自由契約となった新井氏に真っ先に声を掛けたのは、古巣であるカープだった。悩んだ末、新井氏はカープ復帰を決断し、2014年11月14日に入団会見。背番号は28だった。2014年12月末には黒田博樹の復帰も決まり、2007年オフ、同時にカープを去った2人が同時に復帰となった。開幕こそベンチスタートも、4月7日に4番スタメンを果たして以降、勝負強い打撃で打線を牽引。7月にはファン投票でオールスターゲームに選出された。故障と戦いながら125試合に出場し、打率.275、117安打、7本塁打、57打点を記録し、復活を印象付けた1年となった。