各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。

 ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。

 今回は、浦和学院高から2001年のドラフト1位でカープに入団。カープ時代は4度の2桁勝利をあげるなど、先発投手として活躍した大竹寛(現巨人)の入団秘話をお送りする。

通算102勝のうち、カープで74勝を挙げた大竹寛投手。自己最多の11勝を挙げた2012年にはカムバック賞を受賞した。

◆同級生の寺原隼人や真田裕貴よりもスケールの大きさを感じました。

 力のあるストレートが最大の武器で、常にバッターに向かって行く姿勢を感じさせてくれるのが2001年に浦和学院高校からドラフト1位で入団した大竹寛です。

 私が彼を初めて見たのは高校3年の夏の甲子園予選だったと思います。高校1年の頃から彼に注目していた苑田スカウトから「身体が大きくストレートが速い右の本格派で、将来はカープのエースになれる選手がいる」という話を聞いて埼玉に彼を見に行きました。2001年当時のカープは、黒田以外に右の本格派と呼べる投手がなかなか育っておらず、この年のドラフト会議で何としてもその素質を持った選手を獲得しなければなりませんでした。そこで注目したのが大竹だったのです。

 初めて大竹を見たときは「フォームはオーソドックスなオーバースローだが、肘が柔らかく投球時に腕がムチのようにしなり、球持ちが非常に長い。球も回転が良くキレがあり球威も十分にある」と感じました。

 よく『球持ちが長い』と言いますが、球持ちが長ければ長い程、打者はタイミングが取りづらくなります。そしてリリースポイントが打者に近くなるため体感速度も上がります。3cm程近くなると、打者はスピードガンの表示よりも5kmも速く感じると言われていますから、当時の大竹のストレートが140~144kmだったことを考えると、打者の体感速度は140km台後半だったのではないでしょうか。変化球はカーブとスライダーを投げていましたが、特にスライダーが一級品で、これならすぐにプロで通用すると思いました。また、フィールディングや牽制球といった守備面でも安定感があるなという印象も受けました。

 これだけ素晴らしい素質を持った選手ですから甲子園には出場することはできなかったものの、アジアA3選手権日本代表に選ばれ、ほかの11球団のスカウトが注目したはずです。しかし、ドラフト会議ではカープだけが大竹を指名しました。その理由は甲子園で154kmをマークした寺原隼人(元ソフトバンクホークスなど)に注目が集まっていたからです。

 確かに当時の大竹と寺原では実力的には寺原の方が上でした。ただ、その力の差というものはプロに入って練習をすればすぐに追いつけるくらいのものでしたし、私は大竹に、寺原よりもスケールの大きさを感じました。ですからカープは彼を指名することに決めたのです。今考えてみると、このときに大竹を指名できたことはカープにとって非常に大きなことだったと思います。

 初めて話をしたのはドラフト会議が終わってから行われた契約のときです。そのときに一番感じたことは、非常に頭の回転が早く賢い選手だなということです。後から学力特待生で成績は常にトップクラスという話を聞きましたが、それもうなずけます。

 将来のエース候補として期待され入団した1年目は、プロで通用する身体作りを基本としながら、投球のレベルを上げていくという計画だったと思います。しかし、5月29日のサーパス神戸戦に登板して以降右肩を痛めてしまい、6月20日には三軍に降格してしまいました。

 高校時代ライバルだった寺原や真田(元巨人など)が先発として活躍するのをテレビや新聞で見ると焦りを感じたり悔しい気持ちになったでしょう。しかし、逆にこのケガが、大竹を大きくしたということも言えます。投げることができないためノックやランニング、ウエイトトレーニングなどで下半身の強化に努め、19%あった体脂肪率も15%まで減らしたのです。ピッチングの軸となるのは下半身の粘りですから、それを1年目に作れたことが、それ以降の活躍に繋がっているといってもいいのではないでしょうか。

 肩の故障を克服しマウンドに戻って来た2年目は、ウエスタンで12試合に登板し3勝1敗、防御率3.51という成績を残し、シーズン終盤に一軍に昇格しました。そして地元最終戦となった10月13日のヤクルト戦で146kmのストレートとスライダーを織り交ぜ、6回92球を投げ4安打1失点でプロ入り初勝利を飾りました。高卒1年目に肩の故障をしながらも2年目にプロ初勝利を挙げるところを見ると、改めて彼が持っている能力の高さを感じざるを得ませんでした。

 そして昨年は、黒田・河内・デイビー等と共に先発の一人としてシーズンを迎えたのですが、チーム事情により先発から中継ぎ、そして最後は抑えを任されました。本来は先発完投型の投手ですから慣れない部分もあり戸惑ったことも多かったと思います。しかし、真剣勝負の場で抑えをすることで、1球の大事さや1アウトを取る難しさ、コンディションの作り方など、先発とはまた違った経験を積むことができました。

 この経験は今シーズンから再び先発を任される大竹にとって役に立つことだと思いますし、今後、彼が投手として幅を広げていくための重要な財産になるはずです。そういう意味では、昨年抑えを勤めたことは非常に意味のあることだったと思います。

【備前喜夫】
1933年10月9日生-2015年9月7日没。広島県出身。旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987~2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。

【大竹寛】
1983年5月21日生、埼玉県出身。浦和学院高-広島-巨人(2002年ー)。2001年ドラフト1位でカープに入団。2年目の2003年にプロ初勝利を挙げると、2005年にはリーグ最多の28試合に先発し自身初となる2桁勝利を達成した。2010年と2011年は右肩の故障で登板機会を減らすも、復帰した2012年には自己最多の11勝を挙げてカムバック賞を受賞。2013年も10勝を挙げ、球団初のクライマックスシリーズ出場に貢献するも、そのオフ、FA権を行使し巨人へ移籍した。