各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。

 ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。

 ここでは、1995年のドラフト1位でカープに入団。2002年にはチームトップの13勝を挙げるなど、先発投手として活躍した長谷川昌幸の入団秘話をお送りする。

美しいフォームから放たれる140km後半の速球と落差の大きいカーブでファンを魅了した長谷川昌幸。甘いマスクで女性ファンも多かった。

◆野球好きの家庭で育ったからこそ、プロ野球選手になるまでに成長したのでしょう。

 長谷川の高校時代のことはよく覚えています。本当にいいピッチャーでした。球威良し、コントロール良し。フォームが理にかなっていて美しく、とにかくまとまっていた印象があります。

 長谷川は斎藤和巳投手(元ソフトバンク)、星野智樹投手(元西武など)と共にこの年の「投手三羽ガラス」と呼ばれていました。また投手以外でも大阪近鉄の指名を拒否した福留孝介外野手(中日など)、日高剛捕手(元オリックスなど)、荒木雅博内野手(元中日)などチームの主力に成長した選手が多くいます。

 さらに長谷川と同じ千葉県内でも、石井弘寿投手(元ヤクルト)や、同じ銚子市のライバル澤井良輔内野手(ロッテ)がいました。2年下の五十嵐亮太(元ヤクルトなど)など、この頃は千葉県など関東に好素材の高校生投手が多く、私達もよく見に行ったものです。

 彼の実家は茨城県波崎町で、高校は利根川を越えて千葉県銚子市まで通っていました。2歳上のお兄さんが通っていた市立銚子高校です。彼のお父さんは少年野球のコーチをされていて、長谷川もお兄さんと同様にそのチームで野球を始め、幼い頃から厳しく鍛えられたようです。

 長谷川のお父さんはとにかく野球が好きな人という印象があります。彼が入団して1~2年後に、水戸市郊外での高校野球の関東大会に私がスカウトとして見に行った時、声をかけられました。ご自宅から大会会場までは100km以上離れていますが、車で観戦に来られたそうです。後で長谷川にその事を話すと「いやあ、父は野球中毒ですから」とのこと。お兄さんも野球をしていたそうですし、とにかく野球好きの家族だったようです。その中で育ったからこそ長谷川はプロ野球選手になるまでに成長したのでしょう。

 最初に会った時の印象は、広島弁で言う「がんぼうったれ」(強情な、頑固者)という感じでした。

 しかし決して無愛想や礼儀知らずというのではなく、むしろ礼儀良く挨拶もしっかりしていました。今でもたまに会うと「こんにちは!!」と元気良く直立不動で挨拶してきますよ、照れくさいくらい(笑)。私から見て、本当に性格の良い子だと思います。

 ただ正直な故に、思った事をストレートに口にする事がコーチなどに誤解されてしまい、印象を悪くしてしまった部分があったかも知れません。たとえて言えば「右向け右」と言われても「どうして右なんですか?なぜ左じゃダメなんですか?」と正直に言い返してしまうタイプですね。喜怒哀楽がはっきりしていて人間的に憎めない彼のような性格の選手は、カープには珍しいようです。ただこういうタイプの選手が増えてくれば、チームももっと活気が出てくるんじゃないかという気もしないではありません。

 入団契約は学校であったのですが、契約を終え部屋から出てきた長谷川に、待ちかまえていた女子生徒の1人が「おめでとうございます」と手作りのお菓子を入団祝いに渡していました。「あの子は君の彼女か?」と私が聞くと、「いいえ、彼女はいません」と本人は答えました。ただどうやらファンが校内や他校にもかなりいたようで、銚子ではライバル澤井と人気でも二分していたようです。

 長谷川は、プロ2年目の1997年8月10日に一軍初登板で初勝利。4年後の2001年に9勝、翌2002年にはチーム最多の13勝をマークし、先発ローテーションの一角を占めるようになりました。

 しかし私から見れば「出てくるのが遅すぎる」という感じです。あの素材ならもっと早く出てきて当たり前、とずっとそう思っていました。9勝を挙げ頭角を現したのは6年目ですから、24歳の時。20歳で初勝利を挙げましたがその年は1勝限りで、翌年からは0勝、1勝、0勝。この期間がとてももったいなかったと私は感じています。

【備前喜夫】
1933年10月9日生-2015年9月7日没。広島県出身。旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987~2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。

【長谷川昌幸】
1977年7月16日生、茨城県出身。市立銚子高-カープ-オリックス(1996年ー2011年)。1995年ドラフト1位でカープに入団。140km後半の力強い速球が武器の本格派右腕として注目を集め、2年目の1997年に、初登板初先発で初勝利を飾る。2001年に9勝、2002年には自己最多の13勝を挙げ、先発ローテの中心選手として活躍した。2010年シーズン途中にトレードでオリックスに移籍。2011年に現役引退した。