カープを実況し続けて20年。広島アスリートマガジンでも『赤ヘル注目の男たち』を連載中の坂上俊次氏(中国放送アナウンサー)による完全書き下ろしコラムを掲載! 長年カープを取材してきた坂上氏が、カープの育成方法、そして脈々と受け継がれるカープ野球の真髄を解き明かします。連載8回目の今回は2021年からヘッドコーチとしてカープに復帰する河田コーチの原点を探ります。

2021年から再びカープのユニホームを着ることとなった河田雄祐コーチ(写真は2016年当時のもの)

 その考えは、数値だけで表現できるわけではない。4年ぶりのカープ復帰となった河田雄祐ヘッドコーチである。2106年のリーグ優勝では、外野守備・走塁コーチとしてチームを歓喜に導いた。だからこそ、ヘッドコーチ就任会見、メディアは「盗塁数」という数字が打ち出されることを期待した。

 しかし、物事はさらに深い。「根拠のない盗塁は何も意味をなさない。他にも動かし方はある。いろいろと手を打たないといけないところはあると思う」と河田は丁寧に答えた。

 かつて、私も、同様のやりとりをしたことがあった。「盗塁数が多い方が、走塁担当としては成果が見えやすいのでは?」と問いかけたときのことである。それに対しても、河田は説明を惜しまなかった。

「手柄が欲しいわけではないし、チームが勝つためにやっています。それに、わかる人はわかってくれます。勝ちたい。それで良いと思います。走れない場面でもヒットを打って1・3塁になれば、それでいい。それぞれのシチュエーションでやるべきことをやる。盗塁でなくても、一歩大きなリードをとって相手を揺さぶる。これも機動力だと思います。やれることは、盗塁だけではありませんから」

 全ての起点は「勝ちたい」ということである。11月のヘッドコーチ就任会見では、むしろ、この点を強調していた。「とにかく選手が、体の芯から熱の入った動きがキャンプからできるように。カープの選手たちは野球小僧ばかり。野球を楽しんで、相手に勝つという気持ちを出せるように仕事をしていきたいと思います」

 原点は、「勝利への思い」。そこさえ共有できれば、キャリア18年のベテラン指導者だ、選手に提案できる練習のバリエーションは豊富である。

 河田には貴重な経験がある。現役時代、移籍先となった西武でのことである。特に、当時の西武は1997~98年のリーグ連覇など、黄金時代の真っただ中であった。マウイキャンプでのことだ。若手が主体のミーティングに、キャリア10年を超える河田も呼ばれたのであった。

「お前にも、ライオンズの走塁を知っておいて欲しい。入れ」

 声の主は、伝説の走塁コーチ、伊原春樹だった。ホワイトボードに図を書きながら、伊原は、走塁についての説明を行った。

「打者走者とは」「1塁走者とは」「2塁走者とは」。河田は、講義の内容を懸命に書き留めた。このノートを携帯し、試合前に確認することもあった。当時29歳、すでに中堅選手だった。「ノートに書いていることをミスしたら恥ずかしいでしょ。いや、やばいでしょ。最低限できないといけないことの確認でした。これができた上での応用だということです」。

 こういう経験を持つからこそ、河田の指導は、丁寧である。「これを覚えろ」などという物言いはしない。「これを覚えておこう。覚えられないならメモしよう」。ミスもあるだろう。しかし、それについては「口酸っぱく」言い続ける。

 実戦経験が、野球センスが、意識が。野球界では、こういう言葉で済ませてしまう場面も見受けられる。しかし、河田は違う。対話を重ねる。丁寧に説明する。見逃せないミスは言葉にして指摘する。

 配慮はあるが、遠慮はない。聖域も例外も、ない。河田の明るい声が、チームに風を吹かせるに違いない。どこまでもポジティブなベテランコーチは、どこまでも妥協がない。そして、いささかのブレもない。なぜなら、「勝ちたい」、その原点が全くブレないのは、河田自身だからである。