◆エースがエースたる所以とは

闘志を前面に押し出した投球で打者に向かっていた黒田博樹。

 この2人に共通する要素を挙げるのであれば、やはり勝負を前にして逃げない、窮地に追い込まれても打者に向かっていく姿勢を常に持っているということがあります。どんな時であっても自信を失わず、自分の投球ができているものです。

 また黒田、前田からは『打線が打てないのであれば自分でなんとかしてやろう』という気迫を自身の打席からも感じました。投球だけではなく、打撃でもなんとかチームに貢献して、とにかく勝利するという姿勢からエースとしての自負が感じられました。特に前田の方は打撃も良い投手でしたし、まさにエース像を表現できていたのかもしれません。

 そしてエースに求めたいものとして数字や投球の技術同様、メンタルの部分も大事になってくると思います。ピンチを迎えたときに、弱気になっているそぶりを見せないという点はさまざまな面で重要になってきます。気持ちで考えていることはすぐに表情に表れてしまいますし、プロの打者は投手が弱気になってくるとすぐに見抜かれますし、一気に畳み掛けてきます。

 1試合ではだいたい3、4回程度ピンチがあるものですが、仮にそういう時に失点してしまったとしても次の2点目をいかに与えないかということがチームを勝利に導くためにはとても重要です。それはもちろん点差を広げないという数字上の面でもそうですが、投手が試合をあきらめていないという姿勢を、チームメート、そしてファンに見せることは逆転を呼び込む上で重要な要素になってくるからです。

 先発投手として1年間投げていれば状態が良い時もあれば、悪い時もあります。むしろ感覚的には万全の状態でマウンドに上がることなどほとんどなく、どこか不安がある中でマウンドに上がるのが投手というものです。

 しかし、エースという存在はどんな時もマウンドに上がれば不甲斐ない投球をしてはいけませんし、周囲も一定の結果を求めてきます。結果を出して当然という中で投げていくことは、精神的にも非常にプレッシャーがかかるものですが、やはり黒田、前田はそんな状況でもしっかりと結果を残し、そしてその結果を数年持続することができていました。むしろ彼らは一見調子が悪そうに見えても、しっかりと自分の球をコントロールして、試合をつくり上げていました。エースという存在の真骨頂は、もしかしたら調子が悪い時にこそ現れるものなのかもしれません。(続く)

<プロフィール>
大野 豊(おおの ゆたか)
1955年8月30日生、島根県出身。77年にテスト入団を経てカープに入団。79、80年はリリーフとして2年連続日本一に貢献。84年に先発へと転向すると、88年には最優秀防御率、沢村賞を受賞。北別府学、佐々岡真司、黒田博樹などのエースたちと共にプレーし、前田健太が初の最多勝を獲得した10年は一軍投手コーチを務めていた。通算成績は148勝100敗138セーブ。