前田健太投手の日本最終年となった2015年、お立ち台では毎回直筆イラストTシャツでファンを盛り上げた。

◆投手として絶頂期にメジャー挑戦へ 

 自身初のノーヒットノーランを達成した2012年には自己最高の防御率1.53で2年ぶりの最優秀防御率のタイトルを獲得し、3年連続となる200イニングをクリア。さらに2013年WBC日本代表に選出され、侍ジャパンのエースとして活躍。大会公式ベストナインにも輝き、その名を世界に轟かせた。だがカープのエースとして、低迷期を抜け出せない責任を誰よりも感じていた。

 「僕もみんなも優勝したいし、CSに行きたいと思っているんですけど、どんな感じなのか分からないんです。その経験があるかないかはモチベーションの違いに出てしまうので、そろそろ経験しておかないといけないと思います。いくら良い経験をしても、CSに行けなければ、ただ悔しいだけで良い経験とは言えません。でも、1回でも行けば何かが変わると思うんです」

 2013年、チーム成績と比例するように前半こそ苦戦したものの、後半戦に快進撃を見せた。前田はCS争いの中で後半に8連勝とまさにエースとして奮闘。球団史上初のCS進出、16年ぶりのAクラス入りに大きく貢献した。そしてオフの契約更改ではメジャー挑戦の意向があることを表明。投手として充実期に入った前田はかつてのエース・黒田博樹と同様に一人の投手としてさらなる高みを目指していた。

 前田の日本最終年となる2015年には黒田がカープに電撃復帰。エースとして黒田と同時にプレーする機会がついに訪れた。

 「僕が1年目のときは一軍で一緒にやることができなかったので、一軍で一緒にプレーできて光栄でした。黒田さんの野球に対する姿勢などいろいろ学ぶことができました。アメリカで長くプレーされた方なので、日本とは違う感覚も持たれていて、そういう話も聞くことができました。僕だけではなく、他の投手にも良い刺激をもたらせてくれる大きな存在でした」

 優勝が期待された2015年だがチームは4位に終わる。しかし前田は2度目の最多勝、沢村賞に輝き、エースとしての意地を見せつけた。そしてオフ、ポスティングシステムを利用したメジャー挑戦を球団は了承。前田は世界へと旅立っていく。

 「カープを優勝に導けなかったことが僕の中では唯一の心残りです。このチームで優勝したかったし、広島でパレードをしてみたかったので……」

 奇しくも翌2016年、カープは25年ぶりの優勝を果たすことになる。2016年シーズン中、本誌のインタビューでは黒田博樹がこんなコメントを残している。

 「マエケンがいなくなるということは、“絶対的エースがいなくなった”ということなので、そういう意味では逆にその危機感からチーム、投手陣が良い意味で一つになれたと思います。今まではチームとしてマエケンが残してきた実績に頼ってきた部分は多少なりともあったと思います」

 黒田が語ったように『マエケンが抜けた危機感』が、この年のチームを後押しした一面もあったのだろう。それは前田が周囲が認める絶対的エースだったという証明だ。

 ドジャースに移籍した前田は黒田が背負った背番号18を受け継ぎ、結果を残し続けている。かつてのエースがメジャーで活躍する姿は、カープ投手陣に刺激を与え続けているに違いない。