◆広島から、世界のマエケンへ

 プロ3年目にして先発の柱へと成長した前田が大ブレークを果たしたのが2010年。シーズン前に目標をこう語っていた。

「何でも良いのでシーズンが終わった後にタイトルを手にしていたいですね。そうすれば気持ち的にも、投手としてのイメージも全然違うと思います」

 前田は発言を現実のものとした。当時先発1番手であった大竹寛(現巨人)がケガで出遅れ、自身初の開幕投手を託されると見事勝利で好スタート。その後5月に月間MVPに輝くなど、前半だけで初の二桁勝利を記録。オールスターにはファン投票両リーグ最多得票で初出場を決め、マエケンの名は全国区になった。最終的に15勝8敗、防御率2.21、奪三振174で史上最年少、球団史上初の投手三冠を獲得。さらに沢村賞にも輝き、一気に球界を代表する投手に上り詰めた。

 自身初のノーヒットノーランを達成した2012年には自己最高の防御率1.53で2年ぶりの最優秀防御率のタイトルを獲得し、3年連続となる200イニングをクリア。さらに2013年WBC日本代表に選出され、侍ジャパンのエースとして活躍。大会公式ベストナインにも輝き、その名を世界に轟かせた。だが、カープが低迷期を抜け出せない責任を誰よりも感じていた。

「僕もみんなも優勝したいし、CSに行きたいと思っているんですけど、どんな感じなのか分からないんです。その経験があるかないかはモチベーションの違いに出てしまうので、そろそろ経験しておかないといけないと思います。いくら良い経験をしても、CSに行けなければ、ただ悔しいだけで良い経験とは言えません。でも、1回でも行けば何かが変わると思うんです」

 2013年、チーム成績と比例するように前半こそ苦戦したものの、後半戦に快進撃を見せた。前田はCS争いの中で後半に8連勝とまさにエースとして奮闘。球団初のCS進出に大きく貢献した。そしてオフの契約更改ではメジャー挑戦の意向があることを表明。投手として充実期に入った前田はかつてのエース・黒田と同様に一人の投手としてさらなる高みを目指していた。

 前田の日本最終年となる2015年には黒田がカープに電撃復帰。エースとして黒田と同時にプレーする機会がついに訪れた。

「僕が1年目のときは一軍で一緒にやることができなかったので、一軍で一緒にプレーできて光栄でした。黒田さんの野球に対する姿勢などいろいろ学ぶことができました。アメリカで長くプレーされた方なので、日本とは違う感覚も持たれていて、そういう話も聞くことができました。僕だけではなく、他の投手にも良い刺激をもたらせてくれる大きな存在でした」

 優勝が期待された2015年だがチームは4位に終わる。しかし前田は2度目の最多勝、沢村賞に輝き、エースとしての意地を見せつけた。そしてオフ、ポスティングシステムを利用したメジャー挑戦を球団は了承。前田は世界へと旅立っていく。

「カープを優勝に導けなかったことが僕の中では唯一の心残りです。このチームで優勝したかったし、広島でパレードをしてみたかったので……」

 奇しくも翌2016年、カープは25年ぶりの優勝を果たす。黒田が話していたように『マエケンが抜けた危機感』がチームを後押しした一面もある。それは前田が、周囲が認める絶対的エースだったという証明に違いない。