◆「我が選んだ道に悔いはなし」。名スピーチに込められた思い
最後の対戦相手となったバッターは、横浜の右の代打の切り札、中根仁。
勝負はフルカウントまでもつれたが、ラストボールの内角低めストレートを中根が空振りした瞬間、スタンドから大声援が沸き起こった。カープはそのまま逃げ切り、私の引退試合を白星で飾ってくれた。
試合後のセレモニーで、私は引退の挨拶を行った。
ファンをはじめ、恩師や先輩、カープのチーム全員と球団の人達など、これまでの野球人生でお世話になった全ての方々への感謝の気持ちを言葉にした。そして最後に、私はこの言葉で挨拶を締めくくった。
「我が選んだ道に悔いはなし。背番号24とファンのみなさん、本当にありがとうございました」
シーズン終了後、私は一軍投手コーチとして第二の野球人生をスタートさせた。現役時代に苦楽を共にした同級生の達川晃豊(光男)が監督に就任した事からコーチを引き受けたが、実際にコーチを務めたのは1年間だけだった。現役時代と違って、選手達ができるまで待ち続ける忍耐が必要で、グラウンドにいる時間も長い。精神的にも肉体的にもコーチという仕事は大変だと、つくづく感じた。
2000年からは野球評論家として、NHKの全国および広島向け放送、あるいは新聞などで解説をさせていただいている。
そして2004年のアテネ五輪では、監督に就任した長嶋茂雄さんのもとで投手コーチを務めた。病に倒れた長嶋監督の分まで戦った本大会では銅メダルに終わったが、私からすれば、各選手が与えられた役割を果たしてくれて、良く戦ってくれたと感謝している。
カープに対しては、もう一度強いチームをつくって欲しいと願うばかりである。またファンの方々には、何よりチームを温かく見守って欲しい。もちろん叱咤激励は必要だが、熱い声援でチームに強くなる活力を与えて欲しいと、OBとしてお願いしたい。
ほとんどの選手がドラフトで指名され入団する中で、軟式野球からテスト入団した私が43歳まで22年間もプロの世界で野球ができたのは、さまざまな方に教えてもらい、助けてもらったからに他ならない。
私はこれから解説や指導など様々な面で野球に携わっていく事で、少しでもお返しできたらと思っている。
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