2013年にカープに入団してスタートした、鈴木誠也のプロ野球人生。今年、プロ14年目にして日米通算1500安打を達成した。カープ、そして日本を代表する強打者へと成長した鈴木の原点となったのは、厳しくも優しく息子と向き合い続けてきた父・宗人さんとの特訓だ。
いまや世界を代表するスラッガーのひとりとなった鈴木誠也。ここでは、鈴木がブレイクを果たした2016年、父・宗人さんが語った息子・誠也とのエピソードを改めて振り返る。(『広島アスリートマガジン』2016年8月号掲載記事を再編集)
◆父が語る鈴木誠也。特製『鉄バット』の特訓で力をつけた
誠也はよちよち歩きの頃から、本当に体が強い子でした。1歳の誕生日のときにお餅を背負わせたときも、普通の子は背負うことで精一杯だと思うのですが、誠也はそれを背負ったまま走って逃げましたからね(笑)
本格的に野球を始めたのは小学2年生のときからです。誠也が自分からやりたいといって野球をはじめたので、途中で投げ出さず、毎日練習をやるという約束でした。私が監督をつとめる荒川リトルに入団し、当初はショートを守らせていました。
当時、ノックをした球が外野に抜けてしまうと、あいつはショートから走って球を追っかけて、外野の子より先に追いついてしまうこともありました。その頃から、もしかしたら『一球に対する執着心』みたいなものがあったのかもしれませんね。
練習に関しては、毎日のように一緒にやりました。約1時間ティー打撃をしていたのですが、その方法は、ミートを上手くさせるために荒川リトルの石墳成良さんにお願いして制作してもらった鉄のバットでゴルフボールを打たせるというものでした。ゴルフボールは小さいので、よく見ないと当たりません。
私やチームの他の子がやってみても最初は当たらないことがありましたが、誠也は初めてやらせたときに百発百中でバットに当てました。それを見たときに、「こいつはやるな」と関心したことをよく覚えています。

