◆さまざまな戦略を駆使する『策士』だった
当時、チームは毎年優勝争いを演じるなど決して弱くなかった時代ですが、最大のチャンスであった1996年は、後半戦で巨人に大逆転されてしまいました。
私はプロ入りして以来、それまで古葉竹識監督、阿南準郎監督、山本監督を胴上げしていただけに、選手時代から大変お世話になっていた三村監督を胴上げできなかったことは今でも心残りです。
引退することが正式に決まり、私は旧広島市民球場で引退試合を行っていただきました。
最後のマウンドではさまざまな思いが巡りましたが、三村さんが監督として最後のシーズンであったこと、私と佐々岡を配置転換してくれたこと、私に対して思いやりを持って接していただいたことなどを思うと、三村さんを胴上げできなかったことを本当に申し訳なく感じましたし、悔やまれることでした。
私は現役時代、古葉監督に始まり、いろいろな監督の下でプレーをさせていただきました。そんな中でも三村監督はカープ野球を継承されていましたし、当時『トータルベースボール』と三村さんが提唱していた通り、チームの総合力を巧みに扱いながら、さまざまな戦略で戦っていく策士な監督だったと思います。
■三村敏之(みむら・としゆき)
1948年9月19日〜2009年11月3日(61歳没)、広島県出身
1994年に一軍監督に就任。ビッグレッドマシンと呼ばれた強力打線を形成し、在籍5年でチームを4度Aクラスに導いた。
カープをより深く、より熱く。日本唯一の広島東洋カープ専門誌!
2026年10月号は、今季支配下登録を勝ち取り『気合と根性』が代名詞となった名原典彦選手が表紙に登場!
“未来を担う若手選手”にフォーカスしお届けします!

