2020年シーズンを持って現役引退を決断した佐藤寿人(ジェフユナイテッド千葉)。J1歴代2位のゴール数を記録した“ストライカー”は、かつてサンフレッチェ広島に12シーズン在籍した。ここでは、『広島アスリートマガジン』誌上に掲載された数々のインタビューから厳選し、佐藤寿人のサッカー人生を本人の言葉と共に振り返っていく。

 今回は2007年のインタビューをピックアップ。史上45人目のJ1通算50得点を達成するなど、2007年シーズンもゴールを積み上げた佐藤寿人。ところがシーズン通してチームの状態は上がらず、入れ替え戦のすえJ2へと降格した。

 そんななか佐藤はスタンドに陣取る失意のサポーターに向かって「絶対に1年で戻ろう!」と叫び、事実上の残留宣言を行った。涙の絶叫に秘められた想いを、当時のインタビューと共に振り返る。

J2降格が決まったが天皇杯では準優勝に輝いたサンフレッチェ。

— 2007年のJ2降格を、改めてそのことをどのように捉えていますか?

「天皇杯では良いサッカーができた(準優勝)こともあって、当然僕らもそうだけど、見ている人も『なんでこのサッカーが早くできなかったのか』と感じていると思うんです。ただ、あのサッカーが残留争いをしている中で本当にできたのかというと、それは分かりません。苦しい時期は常にプレッシャーがかかっていたと思うし、天皇杯はのびのびやれた部分もありましたからね。でも降格という結果が出てしまった以上、今はその現実と向き合わないといけない。苦しいことを経験するのはチームとして、選手として考えても全部が全部マイナスじゃないと思うし、『あのときああやっておけばよかった』ということも、もう僕の中では一切ありません。今は1年でJ1に戻ることだけを考えています」

— 今季に懸ける思いはかなり強いようですね。J2で戦うことを決意したのもかなり早く、残留宣言をしたのは入れ替え戦の試合直後、サポーターの前でした。あのときの想いを教えて頂けますか。

「あの試合で単に僕らが降格するだけであれば、そこまでの想いにはならなかったと思います。ただ僕らが降格して京都が昇格するという状況を目の前で見せつけられて、本当に悔しかったんです。サポーターのところへ挨拶に行くと、サポーターもすごく悲しい顔をしていて、今年はこんな表情をたくさん見てきたなというのもありました。本来であればそこでいろんな人たちの笑っている姿を見て自分たちも笑えるのがベストだけど、あんな形になってしまって…。だから試合が終わってマスコミに対してどうするかを言うよりは、あの場ですぐに自分の言葉でサポーターに対して『1年でしっかりJ1に戻ろう』という想いを伝えたかったんです。とにかく自分の気持ちを、悔しさをサポーターに伝えたい一心で、ああいう行動に出たんです」

— J2で戦うことに迷いはなかったのでしょうか?

「もちろん選手である以上、上の舞台でやりたいという気持ちはあります。スポットライトが当たる舞台の方がいいし、当然J2よりもJ1、Jよりも海外や代表でプレーする方が選手にとってはプラスです。ただ、僕はサンフレッチェでプレーをしてこういう結果になってしまいました。特に今年はいろんな人たちを悲しませた分、まずはそれを取り戻さないといけません。代表でプレーできるようになったのも、サンフレッチェがオファーをして仙台から獲得してくれたからでもあるし、チームにはいろんな部分で恩を感じています。だから移籍するかどうかで迷うことは全くありませんでした」

― 全くですか?

「僕は以前、仙台で降格したときも帰りのバスに乗るときにすぐ『残留します』と言いました。気持ちをストレートに出すのが良いかどうかは別として、僕はそういう人間なんです。自分が言ったことに対して、しっかりと気持ちを持ってやっていきたいという思いもあります。もちろん代表でプレーするためには、J1でやることも大切です。ただ1年、J2にいることで(W杯に出場する)可能性が低くなるとは思っていません。仙台にいたときはJ1での実績がない状況だったから、J2でいくら点を取っても代表に呼ばれないだろうという思いがあったけど、今は違います。J1でもしっかりゴールを決めているし、代表でもプレーできました。だから今季J2でやることに対して、僕の中ではそれほどネガティブな要素はないんです」

― 2年連続でJ1の日本人得点王に輝くなど、結果も残していますからね。

「逆にJ1に行きたいからといって他のJ1のクラブに移籍しても、本当に自分のプレーを理解してくれる人がそこにいるかは分からない。自分の力で何かできるタイプの選手であればJ1に行った方がアピールできるかもしれないけど、僕は周りとのコンビネーションであったり、ボールをうまく引き出して点を取るタイプです。だから自分のことを理解してくれる選手とやることがベストだと思いました。広島に来てたくさんゴールを挙げることができたのも、チームメートやサポーターのおかげですからね。『あのときの選択は正しかった』と周りに言ってもらえるように1年やっていきたいと思います」