背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

昨季はウエスタン・リーグで、カープでは林晃汰に次ぐ本塁打数を記録した木下元秀。

 背番号の運命は、背負った選手によって変わっていくものなのだろう。特に大きな番号は、急にイメージが変わる場合もある。今回取り上げる『124』もそういう番号だ。

 カープに背番号『124』の選手が誕生したのは、球団創設60周年を間近に控えた2009年。ドミニカ共和国のいわゆるカープアカデミーから来日し、独立リーグでのプレーを経て育成選手契約を結んだディオーニ・ソリアーノが最初だった。

 ただし、支配下選手登録が叶った翌2010年には1つ多い『125』に変わっており、『124』はわずか半年。10月には初勝利を初完封で飾ったものの、2011年限りで日本球界を離れている。

 『124』を引き継いだのは、1999年ドラフト1位で即戦力左腕として入団した河内貴哉だった。入団時に『24』を与えられた河内は、ルーキーイヤーの5月にプロ初勝利(巨人戦)を飾る。2004年にはオールスターゲームに出場し8勝を挙げるなど活躍したが、2008年5月に左肩関節唇及び腱板部の修復手術を受けた。

 その後は肩のリハビリで登板がなく、2009年シーズンをもって戦力外通告を受けたものの、球団は回復を期待して育成選手として再契約。この時に背負った番号が、100を足した『124』であった。