一軍に再昇格を果たしたクロンが、日毎に存在感を増している。昇格即スタメンとなった中日戦(4月18日)では2安打3打点と大当たり。21日のヤクルト戦でもマルチ安打を放っている。コンディション不良による2週間の離脱を経て、クロンは期待通りの強力スラッガーへと変貌を遂げるのか? ここでは記憶と記憶に残る、カープの歴代助っ人スラッガーを振り返る。

まさに死球王。2007年には日本記録となる28死球を計上したラロッカ。

◆1975-1976「リーグ初優勝を引き寄せた3ラン」
ゲイル・ホプキンス
<247試合、打率.289、53本塁打、160打点>

 カープの歴史を変える一発を放ったのがホプキンスだ。1975年10月15日の後楽園球場(巨人戦)。わずか1点リードの8回に初優勝をグッと引き寄せる3ランをライトスタンドに突き刺した。値千金のこの一発はカープ歴代助っ人の中でも印象度は高い。同年の打率は.256に終わったものの、33本塁打、91打点と勝負強い打撃を見せ初優勝に大きく貢献した。

◆1977-1979「球団外国人初の40本塁打」
エイドリアン・ギャレット

<384試合、打率.260、102本塁打、247打点>

 歴代助っ人の中で最も長打でファンを沸かせたのがギャレットだ。1978年にカープ外国人初の40本塁打を記録するなど、ギャレットが描くアーチは広島名物ともなった。在籍3年で102本塁打を記録した、カープ史に残るホームランアーティストだった。

◆1977-1982「球団外国人最多の764試合出場」
ジム・ライトル

<746試合、打率.288、155本塁打、491打点>

 在籍年数がチームへの貢献度を表す。外国人選手ではエルドレッドに次ぐ長さとなる6年在籍したのがライトルだ。1978年から4年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞した守備力だけではなく、シュアな打撃で何度もチームを勝利に導いた。外国人最多となる764試合に出場し、長打力は同時期に在籍したギャレットの影に隠れていたが、スラッガーとしても十分評価できる数字を記録している。