プロ野球界で生き抜くことができる選手たちには、必ずそれだけの理由がある。競争に勝ち抜くための考え方、真摯に取り組む姿勢、敵を圧倒する技術、球種は必ず自らを助けるものとなる。はたして赤いユニホームを着た男たちは、どのような武器を持っていたのだろうか。

代打として突出した成績を残した浅井樹。右打者の町田公二郎と共に一時代を築いた。

 通算代打成績は489打数154安打93打点、打率.315。1990年代から2000年代にかけて、カープの『代打の切り札』として一時代を築いた浅井樹だが、決してその称号を喜んではいない。

「代打になろうと思ってプロに入った選手はいない。引退するまでスタメンで出ることにはこだわり続けました」

 持ち場に全力を尽くしたのは、向上心の現れでもあった。外野には緒方孝市、前田智徳、金本知憲、一塁にはロペスら外国人。浅井は常に強力なライバルとの競争を余儀なくされ、その中で役割を探していった。

「振り返ればすごいメンバーでした。ただ、だからこそ頑張れたし良い環境だったと思う」

 スタメンを奪おうと代打で結果を残していくうちに、次第に他の選手にはない浅井らしい独自色も濃くなっていた。「代打、浅井」。球場にその名がアナウンスされれば、スタンドのファンは快打を期待し沸きに沸いた。

 こだわりがあった。名前が呼ばれても、すぐには打席に向かわなかった。

「まずはベンチで場内の盛り上がりを聞いていた。そうすることで、『さあ、行こうか』と気持ちが奮い立っていたんです」

 気持ちを高めた打席で、試合を決める一打を放つ。球界を生き抜く上で武器とした“代打”という役割は、何よりもチームにとって最大の武器となっていた。

浅井樹●あさいいつき
1971年12月14日生、富山県出身。左投左打。富山商高-広島(1989年ドラフト6位)。1070試合に出場、打率.285、52本塁打、259打点。確実性と長打を併せ持つ打撃で、主に代打として活躍。引退試合でも代打でヒットを放つなど、強いインパクトを残した。また、守備力も高く外野や一塁で堅実な守りを見せた。2007年から二軍、2010年からは一軍打撃コーチなどを歴任した。