プロ野球界で生き抜くことができる選手たちには、必ずそれだけの理由がある。競争に勝ち抜くための考え方、真摯に取り組む姿勢、敵を圧倒する技術、球種は必ず自らを助けるものとなる。はたして赤いユニホームを着た男たちは、どのような武器を持っていたのだろうか。

体重100キロ、投げる球も100キロという際立ったキャラクターでファンから愛されたフェルナンデス投手。

◆揺れる魔球で球界を席巻

 ずんぐりとした体型は、おおよそ野球選手とは思わせない異様さだった。2007年、当時の監督であるマーティー・ブラウンの推薦で来日したジャレッド・フェルナンデスは、たった一つの武器で日本の野球ファンに大きなインパクトを与えた。

 その武器とは『ナックルボール』。空気の抵抗を受けてユラユラと揺れるこの特殊な球は、本人でさえ行き先の分からない“魔球”だった。

 フェルナンデスは投球の8割近くにこの球種を用いる“フルタイム・ナックルボーラー”。初登板こそ10失点と派手にKOされたが、2度目の登板で7回1/3を2失点に抑えると、次第に成績は向上していった。

 打者のバットは不規則に揺れる球をとらえきれず、ナックルボールの存在感は日増しに高まっていった。

「こんな遅い球で打ち取れるのが、この球の魅力なんだ」

 その言葉を証明するように、強打者たちが凡退を繰り返していった。球場の湿度や風向きなど気候による変化量の増減、肩への負担の少なさが可能にした連投に次ぐ連投、陽気な性格と実直な人柄。様々な要素がフェルナンデスを、そしてナックルボールを注目の的にしていった。

 後半戦は安定感を欠きわずか1年での退団となったが、不可思議な投手として今でも熱心なカープファンの間で話題に上る。成績は別として、強烈なインパクトを残したことだけは確かなようだ。

●ジャレッド・フェルナンデス
 1972年2月2日生、アメリカ出身。右投右打。30試合に登板、3勝8敗、防御率6.04。2007年のみの在籍だったが、ナックルボールにこだわった投球スタイルは印象的で、ユニークな性格と豊かな表現力も相まって人気選手となった。後半戦は球を見極められ痛打を浴びる試合が続き、成績は悪化。多くのファンに惜しまれながらも、1年限りで戦力外となった。