スポーツジャーナリストの二宮清純が、ホットなスポーツの話題やプロ野球レジェンドの歴史などを絡め、独特の切り口で今のカープを伝えていく「二宮清純の追球カープ」。広島アスリートマガジンアプリ内にて公開していたコラムをWEBサイト上でも公開スタート!

 オールスターゲームでの1試合3発と言えば、1978年の掛布雅之(阪神)が有名だが、実は、その3日前、市民球場でカープのエイドリアン・ギャレットが達成している。

 そのギャレットが4月22日、肺炎のため死去した。78歳だった。

 同時期に活躍したジム・ライトルほどの確実性はなかったが、パワーは歴代の外国人の中でもズバ抜けていた。

 来日した77年は35本塁打、91打点。翌78年は40本塁打、97打点。リーグ優勝、日本一に輝いた79年は27本塁打、59打点。穴が多いように映ったが、それでも77年は2割7分9厘、78年は2割7分1厘をマークしている。

 ギャレットの最大の長所――それは爆発力だったように思う。打ち始めると止まらないのだ。78年の4月にはプロ野球タイ記録(当時)の月間15本塁打を記録している。そのほとんどがライトから右中間への打球だったと記憶している。

 当時のギャレットは5番か6番を打つことが多かったが、助っ人がこれだけ打てば山本浩二、衣笠祥雄、水谷実雄への攻めが甘くなる。私の目に映るギャレットは日本版ビッグ・レッド・マシンの用心棒のようだった。

 貧打に悩む今のカープにギャレットありせば、と思わずにはいられない。鈴木誠也や西川龍馬の後ろに彼が控えていれば、ピッチャーはどれだけ嫌か。またギャレットは時にびっくりするような大きなホームランを放つことがあり、ピッチャーを委縮させることしばしばだった。

 チームへのロイヤルティ(忠誠心)も外国人選手の中では際立っていた。当時のカープは捕手陣が手薄で、監督の古葉竹識からスタメンマスクを打診されると「ボス! どこでもやらせてくれ。ボクはどんな立場でもチームに貢献できればうれしいんだ」と二つ返事で引き受けたという。

 カープにとっては映画「ラストサムライ」に出てくるトム・クルーズのような存在でもあったのだ。ちょっと褒め過ぎたか……。ご冥福をお祈りする。

(広島アスリートアプリにて2021年5月10日掲載)

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二宮清純(にのみや せいじゅん)
1960年、愛媛県生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。ちゅうごく5県プロスポーツネットワーク 統括マネージャー。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広い取材活動を展開。『広島カープ 最強のベストナイン』(光文社新書)などプロ野球に関する著書多数。ウェブマガジン「SPORTS COMMUNICATIONS」も主宰する。