2001年ドラフト4巡目でカープに入団し、捕手として活躍した石原慶幸氏。25年ぶりの優勝、球団初のリーグ3連覇。記憶に新しい節目の瞬間には、正捕手・石原氏の姿があった。カープ一筋19年のプロ野球人生。悔しさも歓喜も知り尽くした名捕手の野球人生を、数回にわたり石原氏の言葉で振り返っていく。

2014年オフ、かつて共に戦った黒田博樹と新井貴浩が同時にカープに復帰。石原は2015年5月22日のヤクルト戦(マツダスタジアム)から、黒田が先発した全試合でスタメンマスクを被るなど、メジャーリーグから復帰した大先輩の二桁勝利に大きく貢献した。写真は2015年の試合中にマウンドに集まる黒田・新井・石原の3選手。

◆これからのカープについて話せることに喜びと充実感を感じました

 野村監督が就任した2010年以降、若手の成長もあり、チームの力も高まっていきました。それが一つの結果となって現れたのが2013年です。この年、前半戦こそ下位に沈んでいたものの、後半戦に盛り返し上位に浮上。そして、9月25日の中日戦に勝利し、初のクライマックス・シリーズ進出が決定しました。僕にとっては、プロ野球生活12年目で初のAクラス入りでした。

 そして、阪神とのクライマックス・シリーズファーストステージで2連勝し、ファイナルステージに進出することができました。その試合で忘れられないのが、いつも阪神ファンで埋め尽くされる甲子園球場の約半分が、カープの赤色に染まっていたことです。僕はもちろん、誰も見たことのない光景だったと思います。

 カープファンの大声援によって、完全アウェーになってもおかしくない甲子園の空気をホームに匹敵するくらいの雰囲気にしてくれたことは、試合を戦ううえで、大きな励みになりました。

 翌2014年は、シーズン終盤まで優勝争いに加わり2年連続で3位となり、このオフ、野村監督に代わりコーチだった緒方孝市さんが新しく監督に就任されました。さらにこの年のオフ、予期せぬうれしいサプライズが舞いこんできました。

 まず、阪神を退団した新井さんが8年ぶりにカープに復帰。さらに、ヤンキースで主力として活躍していた黒田さんがメジャーリーグ複数球団からのオファーを断り、カープに復帰されたのです。僕は黒田さんの復帰を報道で知り、驚いて新井さんに連絡したのを今でもよく覚えています(笑)。

 二人がカープにいた頃を知っている僕としては、うれしさと共にいろいろな思いが頭を駆け巡りました。その中でまず取り組んだのは、若手選手と黒田さん、新井さんをつなげることです。若手主体のチームになっていたこともあり、当時、二人と一緒にプレーした選手はほとんどいませんでした。

 優勝を目指していくためには、ベテラン、中堅、若手が一つになる必要があります。だからこそ、二人がカープにいた頃を知る僕が偉大なベテランと若手をつなぐ役割を担うことにしました。ただ新井さんは天性のコミュニケーション力を見せ、菊池からすぐに「お兄ちゃん」と呼ばれていたので僕の心配は無用だったようです(笑)。

 昔のように二人と食事をさせていただく機会も増えましたが、話すことは、これまでと変わらずカープに関することばかり。僕も選手として経験を重ねたことで、二人から、「どう思う?」と意見を聞かれた時に、昔とは違い、自分の意見を言えるようになっていました。僕自身、3人で今のカープ、そしてこれからのカープについて、いろんな話ができることに喜びと充実感を感じました。若手主体のチームに、黒田さんと新井さんが加わったことで、カープは優勝に向けて加速していくことになります。