背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

1998年に史上最年長の42歳で開幕投手を務めた大野豊氏。

 背番号「24」の歴代保持者は、投手の割合がかなり高い。それはとりもなおさず、2人の大投手の存在が大きい。今回はそんな背番号「24」を見ていこう。

 球団創設年の1950年こそ箱田良勝、梅田正巳の2投手が着けたものの、その後は野手が続いた背番号「24」。1974年までの25年間では、投手は1961年~1963年の3年間、山本兵吾のみである。その「野手中心時代」の最後になったのが、助っ人外国人のヒックスだ。

 メジャーリーグから1973年にカープに入団した外野手は、クリーンアップで105試合に出場。打率.250で16本塁打という成績を残す。2年目の1974年は78試合出場で打率.243、17本塁打に終わり、このシーズン限りで退団した。

 その後を受けて1975年から「24」を背負ったのが、投手の渡辺弘基。1971年、ドラフト1位で阪急に入団した渡辺だったが、3年でカープに移籍。新天地では左の中継ぎとして重宝され、初年の1975年には55試合に登板。チームの初優勝に貢献した。翌1976年には当時のセ・リーグ最多記録となる73試合に登板。2勝5セーブと活躍したが、その後は故障もあって低迷。1979年に現役を引退した。