スポーツジャーナリストの二宮清純が、ホットなスポーツの話題やプロ野球レジェンドの歴史などを絡め、独特の切り口で今のカープを伝えていく「二宮清純の追球カープ」。広島アスリートマガジンアプリ内にて公開していたコラムをWEBサイト上でも公開スタート!

 上位4球団が4ゲーム以内(8月26日現在)でひしめき合うパ・リーグに対し、セ・リーグのCS進出は、阪神、巨人、東京ヤクルトの3球団で、ほぼ決まりだろう。3位・東京ヤクルトと4位・中日の間には12ゲームもの差があり、これをひっくり返すのは至難の業だ。AクラスとBクラスが、これだけくっきり分かれたのは珍しい。カープは目下、最下位。

 カープは球団創設以来、18年連続Bクラスを記録し、“セ・リーグのお荷物”と揶揄されていた。68年にコーチから監督に昇格した根本陸夫は、コーチ陣を大幅に入れ替えたり、毎日・大毎で2度のホームラン王と4度の打点王に輝いた山内一弘を阪神から獲得するなど、チーム改革に大ナタを振るった。それが球団史上初のAクラス(3位)につながったのである。

 日本初のゼネラル・マネジャーで再建屋と呼ばれた根本に、その秘訣を聞いたことがある。どうすればチームは変わるか。はぐらかされるかと思ったら、あまりにも真っすぐな答えなので驚いたことがある。

「監督を代えればいいんですよ」。根本の説明はこうだった。「アマチュアの場合、大学なら4年、高校なら3年といった単位で選手が入れ替わる。3年や4年なんていったら、あっという間ですよ。だから監督は代わらない位置にいる方が望ましい」

 そして、続けた。「プロの場合はこの逆なんだ。選手はある程度固定されていて、顔ぶれは変わらない。(結果が出なければ)監督が交代する方が望ましい。チームが弱いからといって、選手を全部、取り代えるわけにはいかないでしょう」

 68年のAクラスがなければ、75年の初優勝はなかったと私は考えている。少なくとも、あと何年かは遅れていただろう。その意味で、68年はカープにとってはエポックメイキングな年なのである。ちなみに根本の背番号も68だった。

 来月より、小欄は月2回掲載になります。今後とも、ご贔屓に。

(広島アスリートアプリにて2021年8月30日掲載)

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二宮清純(にのみや せいじゅん)
1960年、愛媛県生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。ちゅうごく5県プロスポーツネットワーク 統括マネージャー。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広い取材活動を展開。『広島カープ 最強のベストナイン』(光文社新書)などプロ野球に関する著書多数。ウェブマガジン「SPORTS COMMUNICATIONS」も主宰する。