2021年夏の高校野球広島大会は広島新庄が5年ぶり3度目の甲子園出場を果たした。同校が初の甲子園出場を果たした2014年春、左腕エースとしてマウンドに立っていたのが山岡就也だ。社会人野球の強豪チームENEOSに所属する彼は今もなお、広島新庄を選んだ自らの決断に感謝の気持ちを持ち続けてプレーしている。

写真は広島新庄時代の山岡就也投手。現在は社会人野球の強豪・ENEOSでプレーする。

◆勢いを出すために編み出した、足を豪快に上げる投球フォームで飛躍

「あの時“新庄に行く”と決めたからこそ今の自分があると思います」

 広島新庄でエースとして2014年春、チームを春夏通じて初の甲子園出場に導き、現在は社会人野球の強豪・ENEOSでプレーする山岡就也は、中学3年時の自らの決断に今も感謝する。

 安芸高田市に生まれ兄の影響で野球を始めた山岡だが、吉田中時代までの実績は皆無。野球も高校までと思っていた。

 ただ、だからこそ「強いところに行って気持ち良く野球人生を終わりたかった」と、強豪校を多く受験。勉強による一般入試で合格したいくつかの学校から、最も環境が良く文武両道だった広島新庄高への入学を決めた。

 スポーツ推薦入学ではない選手は同期部員30人のうち山岡を含め「3人くらいだったと思います」と振り返るが、思わぬ転機は入学後まもなく訪れた。

 受験勉強もあり硬式球は触ったことすらなかったが、思いのほか指にボールがかかり制球よく投げ込めるようになった。すると、その姿を観た迫田守昭監督は山岡をすぐさまAチーム(一軍)に引き上げた。

 まさかの抜擢に驚くばかりの山岡だったが、1学年先輩で寮でも同部屋だった田口麗斗(ヤクルト)を間近に観て、野球に向き合う姿勢や打者に向かっていく強気の投球を学んだ。2年夏は県決勝で田口が瀬戸内・山岡泰輔(オリックス)との壮絶な投げ合い(0対0延長15回引き分け、再試合0対1)の末に敗れたが、「田口さんと比較されたくない一心でした」という山岡は秋に獅子奮迅の活躍を見せる。ほとんどのイニングを山岡が投げて広島大会優勝、中国大会も準優勝。見事にセンバツ甲子園の切符をつかんだ。

 冬場には「球速も変化球もすごいわけではなかったので、フォームで勢いを出そうと思いました」と、足を豪快に振り上げるフォームに変更。すると球速は140キロ台中盤にまで向上した。

 またも思いもよらぬ飛躍を遂げた山岡は甲子園でも躍動する。「マウンドは投げやすかったですし、試合の時も緊張もせずにしっかりと楽しめました」と、初戦の東海大三戦で2安打13奪三振の完封勝利を果たした。続く2回戦の桐生第一戦では延長15回を完投し1対1の再試合に。再試合でも山田知輝(SUBARU)との投げ合いになったが11安打を浴びて0対4で敗戦した。

「勝てた試合でした。初戦の8回にノーボール2ストライクから甘い球を打たれ同点を許したことが心残りです。再試合も完投したので、すごく疲れたことは今も覚えています」

 この完投が象徴するように体の強さ、タフさは大きな武器で「両親に感謝しています」と笑う。最後の夏は決勝戦で広陵に1対2で敗れたが「やりきった思いが強かったので」と涙はなかった。

 その後は国学院大でも活躍し、現在はアマチュア野球界の最高峰で戦う。中学時代までの自分を考えると「びっくりしますよね。高校に入った時は思い出づくりのつもりだったのに(笑)。人生何があるか本当に分からないですよね」と感慨深く語る。

「練習時間も短く、キツかった感覚は一切なく楽しかったです」と振り返る高校時代が、今もなお野球界の第一線で戦う山岡の基礎をつくったのは間違いない。

取材・文:高木 遊