毎年さまざまなドラマが生まれ、そして新たなプロ野球選手が誕生するプロ野球ドラフト会議。今年は10月11日に開催される。長いドラフトの歴史の中で、カープスカウト陣はこれまで独特の眼力で多くの原石を発掘してきた。

 本企画では、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏が、数々のカープ選手たちの獲得秘話を語った広島アスリートマガジン創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。

 ここでは、1997年ドラフト3位でカープに入団した林昌樹の入団裏話をお送りする。同期入団は、小林幹英(4位・現カープ二軍コーチ)、倉義和(5位・現カープ一軍コーチ)らがいる。入団後にサイドスローに転向して以降、徐々に中継ぎとして頭角を現し、2006年からは2年連続50試合以上に投げるなど、2000年代のカープブルペンを支えた。

 プロ通算11年間で276試合に登板した林は、いかにして指名されたのか? 備前氏の証言とともに振り返る。

中継ぎとしてプロ11年間で276試合に登板した林

◆2度目に見たときの成長度が指名につながった

 私が始めて林を見たのは彼が高校3年生のときです。春頃、名古屋で行われていた練習試合を見に行ったのを覚えています。当時はスリークォーターよりも少し上から腕が出てくるようなオーソドックスなフォームでストレートとスライダー・チェンジアップ・シュートの4種類を投げていたように思います。

 その中で特に良かったのがスライダーです。打者の手元で鋭く曲がるそれは、なかなか良いキレをしていました。しかし、ストレートの球速と制球力は今ひとつで「これくらいの投手ならどこにでもいる。このままではドラフトで指名するのは少し難しい」という評価をしたのが正直なところです。

 しかし2度目に見た夏の甲子園予選の林は、春よりもストレートの球速が上がり制球力もかなりついていました。春以降、筋力トレーニングなどを行い投球のレベルアップを図ったのでしょう。もともとスライダーはいいものを持っていました。それに力のあるストレートが加わったことで、スライダーがこれまで以上に活きるようになり投球の幅が広がっていました。その投球を見てカープは林を指名することを決めたのです。渡辺スカウトからは「性格的に非常におとなしいが、礼儀正しい選手」と聞いていました。

 また林は184センチの長身ということで腕が非常に長く、打者に近いところで球を放すことができるという特徴を持っていました。より近いところで放すことができれば打者は球速以上に速く感じます。そういうものも林の魅力の一つでした。ただ、身長がある分どうしても身体の線が細く下半身が弱いという印象がありました。ですからプロ入り後まずは投手として最も重要な下半身の強化をしっかりと行ってほしいと思っていました。

 林は8年間カープでプレーしてきましたが、その中で最も大きな出来事は3年目の終わり頃にフォームをサイドスローに変更したことでしょう。高校卒業後、プロ入り3年間は主に下半身の強化に取り組みながら、しかしわずかに1勝。「何かを変えなければいけない」と思っていたのかもしれません。

 そういうときに清川栄治二軍投手コーチ(現西武二軍コーチ)にサイドスロー転向を勧められたのです。林は1週間以上悩み続けたと聞きました。投手にとってこれまで築き上げてきたフォームを変更する。つまりゼロから始めるということはとても勇気がいることです。ですから、それくらい時間がかかっても仕方がないと思います。

 変更後は、秋季キャンプで清川コーチと共に200球の投げ込みやネットピッチングなどで身体にフォームを覚えさせる日々が続きました。サイドスローというのは身体を横にひねるため背筋と胸の筋肉がより強くなければなりません。加えて膝の柔軟性も必要となります。

 そのため投げ始めた当初はこれまで痛くなったことがないところが筋肉痛になったり体重が減ったりと、かなり苦しい思いをしたと思います。しかし、フォームを変更したことは良かったと私は思います。プロの世界で成功するためには他の投手と違うものを何か一つでも持っていることが重要です。当時、カープの中で横から投げていた投手は小山田くらいだったことを考えると、サイドスローに転向し他の投手にはないものを手に入れたことはとてもよかったと思います。

 そして、そのフォームで初勝利を挙げたのは入団6年目の2003年でした。シーズン終盤の10月12日のヤクルト戦に9回表2アウトから登板した林は、古田を得意のパーム1球でサードゴロ。その裏、岡上が同点本塁打を放ち満塁となったあと、高津のワイルドピッチで最後にアウトを奪った林に白星が付いたのです。

 この年は開幕から一軍登録され大事な場面で登板し結果を残していました。しかし、1カ月ほどしてファーム行きを宣告され悔しい思いをしました。周囲からは1球で初勝利を手にしたため「ラッキー」などと言われていましたが、私はこれまでの努力が実った瞬間だと思いました。