カープを象徴するマスコットキャラクターである『カープ坊や』。初優勝を果たした1975年に誕生し、2025年で節目の誕生50周年を迎えた。ここでは、カープ坊や誕生に関わったモデルと生みの親を直撃。当時のエピソードを語っていただいた。

1973年、当時3歳の有馬さんが旧広島市民球場でバットを持つ姿を、有馬さんの父が撮影した(写真:有馬さん提供)

◆カープ坊やに成長させてもらえた

 カープ坊やのモデルになったきっかけは父が大きく関係しています。父は旅行会社に勤めていたのですが、旧広島市民球場でのカープ観戦ツアーを担当していた関係で、球団と打ち合わせで球場を出入りしていました。父は大のカープファンで、当時3歳の私にカープのユニホームを着せて、仕事場である球場に私を連れて行っていました。私はベンチなどに入れてもらい、グラウンドでは監督や選手に遊んでいただきました。父は写真が趣味でその様子をよく撮影していました。カープ坊やのモデルとなった写真は、その際に父が撮影したものです。

 聞くところによると、当初は鯉をデザインしたものもあったそうですが、子どもたちに夢を与えるものが良いということで、子どもをイメージしたカープ坊やが選ばれたそうです。子どもをモチーフとしたプロ野球のペットマークは珍しかったと思います。毎日のように旧広島市民球場に出入りさせていただいたある日、父に呼ばれて私はオーナー室に行きました。そこで当時の松田耕平オーナーから「これは君をモデルにして作ったんだよ」と、言われてカープ坊やのモデルであることを知りました。5歳なのですべて理解していませんでしたが、うれしかった記憶があります。

 カープ坊やのモデルということで、幼少期から友達の輪が広がりました。また大人になり、仕事においても自分から言うことはありませんが、同僚が「この人は『カープ坊や』なんですよ」と紹介してくれることで、先方も驚かれて話が弾み、特に広島では喜んでいただけます。私も得意先と早く関係性を深めることができるので、カープ坊やにとても感謝しています(笑)。私にとってカープ坊やは縁をつくってくれた、とても大切な存在です。今年、誕生50周年を迎えたということで、感慨深いものがあります。1つのペットマークが50年も続くというのは、色褪せないデザインであり、広島県民から認知され、愛されているからこそだと感じます。改めてカープ坊やには、50周年おめでとうございます。そして、ありがとう。これからもずっと愛される存在でいてください。と伝えたいですね。

■有馬和哉(ありま・かずや)
1970年4月11日生まれ、広島県出身(55歳)
カープファンである父の仕事場でもあった旧広島市民球場に連れられ、3歳当時に父親が撮影した1枚の写真がカープ坊やのモデルとなった。根っからのカープファンで、現在もマツダ スタジアムでカープ観戦を楽しんでいるそう。