スポーツジャーナリストの二宮清純が、ホットなスポーツの話題やプロ野球レジェンドの歴史などを絡め、独特の切り口で今のカープを伝えていく「二宮清純の追球カープ」。広島アスリートマガジンアプリ内にて公開していたコラムをWEBサイト上でも公開スタート!

 かつて「打てるキャッチャー」の育成はカープにとって悲願だった。というのも、「打てないキャッチャー」の時代が、あまりにも長く続いたからだ。

 私がRCCラジオでカープ戦の中継を聴くようになった頃のキャッチャーは田中尊である。もう全盛期を過ぎていたが、この人が打ったホームランは、とんと思い出せないのだ。

 そこで調べてみたら、田中の生涯本塁打数は8本。1969年が最後である。記憶がないのも当然か。

 70年代に入って頭角を現した水沼四郎も非力だった。外野手のエイドリアン・ギャレットが急遽マスクを被ったのは、水沼があまりにも打てなかったからだ。

 それだけに79年の近鉄との日本シリーズ、“江夏の21球”で知られる第7戦、6回に柳田豊から勝ち越し2ランを放った時には「ウソだ!?」と思わず自分の頬をつねったものである。水沼のライバルだった道原裕幸も打力はあてにならなかった。

 そこへ行くと達川光男は2割4分6厘という通算打率を残していることでもわかるように、そこそこは打てた。チーム生え抜きではないが、「打てるキャッチャー」の第1号は西山秀二だろう。96年には打率3割1分2厘をマークしたが、規定打席以上で打率を3割台に乗せたキャッチャーは、カープでは初めてだった。しかし、強打は長く続かなかった。

 2000年代に入ってからは石原慶幸がレギュラーを獲得した。04年には2割8分8厘を打ち、今後に期待が持たれたが、ことバッティングに関しては彼も尻すぼみだった。晩年は2割を行ったりきたりだった。

 その意味で會澤翼の存在は大きい。昨年はリーグトップの11死球を記録した。それだけ相手が警戒している証拠である。ぶつけられても腰を引かないところに「打てるキャッチャー」の矜持を感じる。

 そして坂倉将吾である。その勝負強いバッティングで、しっかり5番の座を確保している。鈴木誠也が調子を取り戻したのは、坂倉へのマークが厳しくなってからだ。

 會澤や坂倉の打撃成績がカープ捕手陣のスタンダードとなれば、「打てなければレギュラーはとれない」となる。田中尊や水沼四郎の時代には考えられなかった話である。

(広島アスリートアプリにて2021年10月4日掲載)

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二宮清純(にのみや せいじゅん)
1960年、愛媛県生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。ちゅうごく5県プロスポーツネットワーク 統括マネージャー。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広い取材活動を展開。『広島カープ 最強のベストナイン』(光文社新書)などプロ野球に関する著書多数。ウェブマガジン「SPORTS COMMUNICATIONS」も主宰する。