巨人の大竹寛投手(38)が今シーズン限りでの現役引退を発表した。

 大竹は浦和学院高時代、速球を武器とする右の本格派として注目され、2001年ドラフト会議でカープから1巡目指名を受けてプロ入り。同期入団には石原慶幸(4巡目)、天谷宗一郎(9巡目)らがいた。

 プロ3年目の2004年に中継ぎとして好投を続けると、シーズン途中からはストッパーに抜擢され17セーブを挙げるなど一軍に定着した。2005年には先発に戻り、自身初の二桁勝利(10勝)を記録し、以降は先発の一角として低迷するチームを支え続けた。

 カープが初のクライマックスシリーズに進出を果たした2013年オフにFA権を行使し、巨人へ移籍。移籍初年度は先発として9勝を挙げるも、翌年以降は故障が続いて低迷。しかし、2019年に中継ぎとして32試合に登板するなど復活。侍ジャパンにも選出された。今季は故障の影響もあり、一軍登板はわずか3試合だった。

 かつて、カープのエース格として活躍した大竹がプロ20年間で残した数字は、375試合、102勝101敗、17セーブ、26ホールド。ここでは、長年カープスカウトを務めた故・備前喜夫氏が以前本誌に語ってくれた大竹獲得までエピソードを改めて振り返っていく。

2001年ドラフト1位でカープに入団した大竹。カープ時代は先発として活躍した。

◆肘が柔らかく、腕がムチのようにしなる

 私が彼を初めて見たのは高校3年の夏の甲子園予選だったと思います。高校1年の頃から彼に注目していた苑田スカウトから「身体が大きくストレートが速い右の本格派で、将来はカープのエースになれる選手がいる」という話を聞いて埼玉に彼を見に行きました。

 2001年当時のカープは、黒田以外に右の本格派と呼べる投手がなかなか育っておらず、この年のドラフト会議で何としてもその素質を持った選手を獲得しなければなりませんでした。そこで注目したのが大竹だったのです。

 初めて大竹を見たときは「フォームはオーソドックスなオーバースローだが、肘が柔らかく投球時に腕がムチのようにしなり、球持ちが非常に長い。球も回転が良くキレがあり球威も十分にある」と感じました。

 甲子園には出場することはできなかったものの、これだけ素晴らしい素質を持った選手ですから、アジアA3選手権日本代表に選ばれ、ほかの11球団のスカウトが注目したはずです。しかし、ドラフト会議ではカープだけが大竹を指名しました。その理由は甲子園で154kmをマークした寺原隼人(元ソフトバンクなど)に注目が集まっていたからです。

 確かに当時の大竹と寺原では実力的には寺原の方が上でした。ただ、その力の差というものはプロに入って練習をすればすぐに追いつけるくらいのものでしたし、私は大竹に、寺原よりもスケールの大きさを感じました。ですからカープは彼を指名することに決めたのです。今考えてみると、このときに大竹を指名できたことはカープにとって非常に大きなことだったと思います。

 初めて話をしたのはドラフト会議が終わってから行われた契約のときです。そのときに一番感じたことは、非常に頭の回転が早く賢い選手だなということです。後から学力特待生で成績は常にトップクラスという話を聞きましたが、それもうなずけました。