プロ野球のレギュラーシーズンが終了し、セ・リーグはヤクルト、パ・リーグはオリックスと、両リーグ共に前年最下位のチームが優勝を果たした。

打率.317で自身2度目となる首位打者となった鈴木誠也。

 カープは終盤に追い上げを見せたものの、4位に終わった。しかし個人タイトルに目を向けると、打者部門では鈴木誠也が首位打者(打率.317)、最高出塁率(.433)の2冠を達成し、投手部門では初の二桁勝利をマークした九里亜蓮が13勝で最多勝に輝いた。

 今季コロナ禍の影響を受けるなど、鈴木は前半戦から苦しい状況が続いた。しかし侍ジャパンで4番を務めて金メダル獲得に貢献すると、後半戦から調子を取り戻した。安打と共に本塁打も量産し、トップにあと1本の38本塁打を記録。終盤、同僚の坂倉将吾との首位打者争いとなったが、鈴木はトップを許さずカープ勢でワンツーフィニッシュとなった。

 鈴木にとっては2年ぶりの首位打者となった。ここでは、改めてカープの過去首位打者を振り返っていく。

◆「球団初の首位打者」森永勝也 1962年(打率.307)
 1958年にカープに入団し、1961年から2年連続でベストナインを受賞。1962年には打率.307で球団史上初の首位打者に輝いた。ちなみにこの年のセ・リーグ投高打低であり、森永は規定打席到達者の中でただ1人の3割打者だった。1971年に引退後はカープでコーチに就任し、1974年にはカープ一軍監督も務めた。

◆「初優勝で男泣きしたミスター赤ヘル」山本浩二 1975年(打率.319) 
 1969年にドラフト1位でカープ入団。年々打率を上げ、1975年には初優勝に向けて快進撃を見せるチームの中で4番に定着。この年、オールスターで同僚の衣笠祥雄と共に2打席連続本塁打を放ち「赤ヘル旋風」を巻き起こした。優勝争いの中で好調な打撃を維持、最終的に自身初の3割となる打率.319で首位打者を獲得。初の30本塁打も達成。シーズンMVPに輝いた。

◆「球団シーズン最高打率」水谷実雄 1978年(打率.348)
 プロ入り後に打者に転向。1975年の初優勝時にはレフトでウイニングボールを掴んだ。1976年に初の3割(.308)を記録すると3年連続3割を達成。1978年には「シーズン200発」を記録した強力打線の中で打率.348をマークして首位打者を獲得。この数字は球団記録。通算244本塁打を放つなど、一発もある安打製造機として長年活躍した。

◆「2年連続の首位打者」正田耕三 1987年(打率.333)、1988年(打率.340)
 プロ入り後にスイッチヒッターに転向。プロ2年目にセカンドのレギュラーを掴むと、1987年には足を生かした打撃で打率.333をマーク。スイッチヒッターとしてNPB初、本塁打0で首位打者に輝いた。また翌1988年には、さらに数字を上げて打率.340で2年連続の首位打者を獲得した。守備面ではセカンドで5度のゴールデン・グラブ賞も獲得した名手だ。

◆「背番号55の“赤ゴジラ”」嶋重宣 2004年(打率.337)
 超高校級の左腕として投手として入団も、1999年に打者に転向。なかなか一軍で結果を残せないシーズンが続いたが、背水の陣で臨んだプロ10年目、背番号「55」に変更して一気にブレイクした。開幕から打率4割を超える高打率を残すと、シーズンを通じて好調をキープ。結果的に打率.337、189安打で首位打者と最多安打のタイトルを獲得した。

◆「球団史上2人目となる二度の首位打者」鈴木誠也 2019年(打率.335)、2021年(打率.317)
 プロ4年目の2016年に、3試合連続決勝本塁打を放つなど「神ってる」活躍でレギュラーに定着。打率.335、29本塁打で25年ぶりVに貢献。その後は4番として3連覇に貢献。レギュラー定着4年目となる2019年に打率.335で初の打撃タイトルとなる首位打者を獲得。今季は自身2度目の首位打者を獲得。2度の首位打者獲得は球団としては正田耕三以来となる。