歴代2位のJ1通算161得点、Jリーグ最多となる通算220得点など、FWとして数々の金字塔を打ち立て、2020年に現役引退した佐藤寿人氏。2005年にサンフレッチェ広島に移籍し、3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した。生粋のストライカーの広島での12年間を佐藤寿人氏の言葉で振り返っていく。

勝てば称賛され、負ければその責任を負う、そんなエースストライカーの使命を背負い走り続けた佐藤寿人。

【第4回】サッカーの楽しさを再確認したミシャとの出会い

 サンフレッチェ広島に加入して2年目の2006年は、日本代表の活動から始まりました。

 2月にアウェーで行われたアメリカ代表との親善試合で、後半開始から交代出場して代表デビュー。のちに日本代表のキャプテンとなる長谷部誠選手も、同じ試合がデビュー戦でした。

 ドイツW杯を6月に控えたチームでの活動は、とても刺激的でした。ジーコ監督からの指示はシンプルに「点を取ってくれ」。

 3試合目で代表初ゴール。その後も1得点しましたが、W杯の最終メンバーには選ばれませんでした。多くのチャンスをもらいましたが、力が足りなかったと感じています。

 一方、広島は開幕から未勝利が続きました。小野剛監督は前年7位から上位を目指すために、ボランチを2人から1人にする新布陣にトライしたのですが、なかなか結果につながらず、第8節終了後に辞任となりました。小野さんが呼んでくれたからこそ、広島に来ることができたし、日の丸をつけることもできたので、本当に心苦しく、申し訳なかったです。

 その後、望月一頼GKコーチが暫定で指揮を執りましたが、この時期は正直、サッカーが楽しくなかったです。

 望月さんの指示は「全員で守備を固めてボールを奪ったら前に蹴り出せ」という消極的なもの。状況によって選手が判断すべきだと感じた僕は反論し、衝突もしました。全てはJ1残留のための行動でしたが、いま振り返ると大人の対応ではなかったと思っています。そして、チームを立て直すため、まずは守備からという望月さんの判断も今となっては理解できます。

 ドイツW杯開催中の6月、後任のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(以下ミシャ)が就任しました。最初に言われたひと言を、今でもよく覚えています。

「どうして、そんなにつまらなそうにプレーしているんだ?」

 みんなが勝敗の重圧に押しつぶされていました。でもミシャは「何のためにプレーしている? サッカーは楽しいものだろう」と問いかけて、実際にサッカーの楽しさを再認識させてくれました。

 練習は、体力的にも、頭を使うという点でもきついものばかりでした。フィールドプレーヤー10人がお互いをマンツーマンでマークする紅白戦は、守備は相手についていくのが大変で、逆に攻撃は駆け引きや、相手をどう欺くかが問われる。体も頭も本当に疲れるのですが、サッカーの面白さや醍醐味を感じられるので毎日の練習が楽しみでした。

 みんなの表情が一気に明るくなりましたね。ストライカーとしての僕を尊重してくれて「まずゴールに直結する動きをしてくれ」と言われました。選手それぞれの考え方や価値観を認めてくれていたと感じます。日本人選手を見下すようなことはなく、愛情を持って接してくれているのが伝わって、ミシャとの間に信頼関係が生まれるのに時間はかかりませんでした。(続く)

●プロフィール
佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。市原(現千葉)ユースから2000年にトップ昇格。C大阪、仙台を経て、2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し、2012年にはMVPと得点王を獲得した。2017年に名古屋に移籍し2019年からは千葉でプレー。2020年限りで現役を引退。通算のJ1得点数は歴代2位を誇る日本を代表するストライカー。引退後は指導者・解説者として活動している。