2021年に、広島アスリートマガジンWEBで反響が大きかった記事をお送りする「過去記事セレクション」。今回は“カープの背番号”についてまとめた記事をお送りします。(公開日2021年3月)

現在カープで背番号0を背負っている上本崇司選手。

◆球界初の「0」は、あのミラクル男

 背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

 数字としての『0』の概念が発明されたのは、5世紀頃のインドだと言われている。日本野球界における背番号『0』が“発明”されたのはそれから1500年あまり経った後、広島カープでのことだった。

 その主人公は長嶋清幸。1979年にドラフト外で入団した彼は当初『66』をつけていたが、4年目の1983年シーズン開幕にあたり背番号『0』への変更を希望。当時の古葉竹識監督に認められたことで実現し、日本プロ野球で初めて『0』を背負う選手となった。

 これを機に、長嶋は目覚ましい活躍を見せる。初年度の1983年は初めて全130試合に出場。メキメキと台頭し、ついには山本浩二からセンターのポジションを奪ってみせた(山本はレフトへ)。いつしか“ミラクル男”の異名を取るようになり、翌1984年シーズンには多くの印象的なシーンを生み出した。

 9月15日、16日には巨人の西本聖、江川卓から2日連続サヨナラ本塁打を記録するなどして4年ぶりのリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは第1戦に逆転2ラン、第3戦に満塁本塁打、第7戦に同点本塁打を放ち、7試合で10打点の荒稼ぎ。文句なしの活躍でチームを3度目の日本一に導き、自身もシリーズMVPに輝いた。その後も勝負強い打撃は健在で、1980年代のカープ黄金期を彩った。

 1990年限りで中日に移籍した長嶋の後を継いだのが、高信二。現役時代は守備固めなどユーティリティープレーヤーとしてチームに貢献し、1998年限りで現役を引退。その後は二軍のコーチ、監督などを経て、2016年からは一軍ヘッドコーチに就任。リーグ3連覇に貢献した。2021年シーズンより再び二軍監督として、後進の指導に当たっている。