新型コロナウイルス感染拡大の影響で、カープも先行き不透明な中での練習を余儀なくされている。そんな混沌とする状況下で、選手会長としてチームのまとめ役を託されているのが田中広輔だ。昨季こそ右ヒザの故障もあり自他共に悔しいシーズンを味わったが、リーグ3連覇に貢献するなどプロ入り直後から周囲の期待に違わぬ活躍を見せている。コロナ禍の影響で開幕戦が先送りとなるなか、真のリードオフマンと呼ばれた男は完全復活を目指し今も牙を研ぎ続けている。酸いも甘いも味わった背番号2の、直近3年間を振り返る。

誰も経験したことがない困難な状況のなか、選手の先頭に立って調整を続ける田中広輔選手。

 今から3年前の17年、田中は日本代表として招集された第4回WBC本大会からスタートした。日本はベスト4で敗れたものの、個人としては大会通算で打率.250、2盗塁を記録。代表としてのキャリアは、また一つ田中を大きく成長させた。

 レギュラーシーズンでは前年16年と同様に、開幕戦から1番ショートでスタメン起用された。チームは春先から好調をキープし、6月以降は2位・阪神を引き離し首位を独走。そんな状況下で不動のリードオフマンが口にしたのは、1番打者としてのこだわりだった。実際、シーズンも大詰めに差し迫った8月には、以下のようなコメントを残している。

「どのシーズンでもキャリアハイを目指していますし、強いて言うならこだわっているのは出塁率と盗塁です。この2つにはこだわっていきたいです。自分が任されているのは1番打者ですから。もちろん調子が悪い時期もありますが、焦らず早打ちしないとか基本的なことを徹底しています」

 チームがリーグ連覇に向け突き進むなか、常に田中が意識していたのがリードオフマンとしての役割だった。つなぐ意識を人一倍持ち、どのような形であれ出塁につなげる。その思いが結実したのが最高出塁率(.398)、盗塁王(35個)のタイトルを獲得した17年だった。