お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、1998年から2000年までカープに在籍し、先発ローテーションの中心として活躍したネイサン・ミンチー選手を取り上げます。

2019年の日南キャンプで遭遇。現在は読売ジャイアンツのスカウトとして活動中のネイサン・ミンチー氏

◆淡々と、しかしガムシャラに。抜群の安定感を見せた助っ人

“カープはでかい助っ人を取りがち”

 そんなカープあるあるのきっかけとなった選手といえば、このネイサン・ミンチーです。203センチと、とにかく大きな体。足を胸元まで上げるダイナミックなフォーム……からの、打たせてとるピッチング。中4日で投げまくり、どんな時も黙々と投げ込むその姿は、今でも目に焼き付いています。

 人生で大事なことは全てミンチーから学んだ。そう言っても過言ではないほど、あの時のミンチーの働きっぷりは心に響くものがありました。

 ミンチーが日本に来たのは1998年。当時のスカウト・フィーバー平山(平山智)さんにより、コロラド・ロッキーズからスカウトされてやってきました。

 1998年のカープといえば、“凄まじい打線”と“凄まじくない投手陣”。ピッチングコーチやカープファンは気苦労が耐えない時代でした。先発で安定していたのは、ミンチーと加藤伸一さんくらい。佐々岡さんや黒田さんですら、思うように勝てない年でした。

 そんな中でもミンチーは、とにかく自分の役割をしっかりと果たします。

「中4日で投げないとペースが狂う」と、首脳陣に直訴したこともあるネイサン・ミンチー

 テンポ良く投げる。とにかく投げる。

 松井(秀喜。当時・読売ジャイアンツ)さんに特大ホームランを打たれても、淡々と投げる。投げる。気がつけば15勝という、その年カープ唯一の二桁勝利ピッチャーとなったのでした。人が生きていく上で、とてもためになるミンチーのピッチングスタイル。何か大きな仕事を任された時やしんどいことが重なった時も、ミンチーのように淡々と、目の前にあることをガムシャラにこなすことで自然と結果がついてくるのです。

 「いつも心にミンチーを」

 これは人が生きる上で大切なことなのかもしれません。

 翌1999年こそ結果が出なかったミンチーでしたが、2000年にカープで12勝を挙げるとロッテへ移籍。ロッテでも、3年連続二桁勝利という素晴らしい働きを見せます。2001年には、防御率3点台ながらも最優秀防御率を獲得。2005年に現役を引退した後は、クリーブランド・インディアンス(現クリーブランド・ガーディアンズ)のスカウトへと転身しました。

 スカウト時代もテンポの良さは健在。ロッテからメジャーへの移籍を希望していた小林雅英さんに声をかけ、FAから半年後にインディアンスへの入団を決めたのも、他ならぬミンチーでした。

 現在は、読売ジャイアンツの北米スカウトとして活躍するミンチー。去年のキャンプで、古巣カープに挨拶に来ていたミンチーと偶然にも遭遇できた僕は、興奮を隠せませんでした。

「あなたの大ファンです」と伝えると、大きな手で強く握手をしてくれたミンチー。柔和な笑顔と、昔の仲間と談笑する姿を見て、その人柄の素晴らしさも伝わってきたのでした。

 ネイサン・ミンチー。大好きな名前の響きとその投球スタイル。来年からもミンチーのように強く生きていきたいものです。

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ザ・ギース 尾関高文(おぜきたかふみ)
広島県東広島市西条町出身のお笑い芸人、熱狂的なカープファン。好きな歴代カープ選手はロビンソン・チェコ投手。 2012年に出演したアメトーーク「広島カープ芸人」で、「カープ OB の北別府さんはブログのコメントに全て返信する」と語り、北別府氏のブログを炎上させた経験を持つ。

[尾関高文公式Twitter]@geeseojeck