2022年の幕が上がった。昨年はカープ、サンフレッチェ共に、思うような結果を残せなかったが、若手が台頭するなど、未来への希望を抱かせてくれる戦いを見せてくれた。また、東京五輪が開催されるなど、スポーツがおおいに盛り上がった一年になったと言えるだろう。

 広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。そこで、昨年特に反響の多かった記事を振り返り、2022年のスタートを切る。

 ここでは、サンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。今回は、昨シーズン、J1通算400試合出場を達成した青山敏弘が背負う背番号を取り上げる。(2021年5月23日掲載)

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J1通算400試合出場を達成したサンフレッチェ広島の青山敏弘。

◆Jリーグ開幕戦で中盤でプレーしたアメリカの選手 

 1993年5月16日、サンフレッチェ広島のJリーグ開幕戦となったジェフユナイテッド市原戦で、開始1分に背番号8のMF風間八宏が先制点を決めたことは連載第1回でも書いた。この試合に先発出場し、背番号6をつけて風間とともに中盤でプレーしたのが、MFダニエルだ。

 アメリカ国籍で、サンフレッチェの前身のマツダSC時代に来日。Jリーグの歴代外国籍選手はブラジルと韓国が飛び抜けて多く、アメリカの選手はダニエルのほかに、ガイナーレ鳥取に在籍したMFオスカーなど数人しかいない。プレーしたのは1年間だけで、正直なところ、プレーの特徴などは忘れてしまったが、記念すべき開幕戦のメンバーとして歴史に名を刻んでいる。

 風間の先制点で始まった開幕戦、サンフレッチェは67分に追い付かれたが、82分にMF小島光顕が左足で鮮やかなミドルシュートを決め、2-1で勝利。Jリーグ初勝利の立役者となった小島は、この試合では交代出場のため12番をつけていたが、固定背番号制となった1997年から2年間、6番をつけてプレーした。

 基本技術の高さを生かした堅実なプレーが持ち味で、本職のボランチだけでなく、DFなど複数のポジションで頼りになる存在だった。移籍して別のクラブでプレーした後、2002年限りで現役を引退。現在は『株式会社KOJIMA SPORTS』の代表取締役として、神奈川県相模原市を拠点にフットサルコートやサッカースクール、中学生年代と小学生年代のチームを運営している。

◆W杯準優勝メンバーがサンフレッチェに加入

6番はその後、2002年にMFトゥーリオがつけた。のちの『田中マルクス闘莉王』で、カタカナで書くと分からないかもしれない。当時はプロ2年目、まだブラジル国籍だった。

 この年サンフレッチェはJ2に降格し、トゥーリオは翌2003年、水戸ホーリーホックに期限付き移籍。この年の10月に日本国籍を取得し、2004年に浦和レッズに完全移籍してからは、クラブと日本代表で歴史に残る活躍を見せた。

 トゥーリオが期限付き移籍したのは、外国籍選手の枠を空けて、別の選手を獲得するためだった。代わりに2003年にサンフレッチェに加入して6番をつけたのは、MFサンパイオ。

 1995年に横浜フリューゲルス(1998年限りで吸収される形で横浜マリノスと合併)に加入し、ボランチとしてボール奪取から攻撃の組み立てまで、マルチな働きを見せた。ブラジル代表でも活躍し、日本代表が初出場した1998年フランス・ワールドカップ(W杯)ではレギュラーとして準優勝メンバーとなっている。

 サンフレッチェではボランチだけでなく、3バックの中央でもプレーして、1年でのJ1復帰に貢献した。長年にわたる生活で日本語が上達し、サンフレッチェ時代は通訳こそいたが、筆者の日本語の質問を聞いただけで、内容を理解して話し始めるほど。2017年にゲストとしてエディオンスタジアム広島を訪れたとき、日本語で話しかけると、満面の笑みを浮かべながら日本語で返してくれた。

◆J1通算400試合出場を達成

 その後、サンフレッチェの背番号6は2007年から変わっていない。説明不要のMF青山敏弘。今季で6番は15年目、現在の所属選手では最も長く同じ番号をつけている選手だ。

 Jリーグデビューを果たして飛躍の1年となった2006年を経て、2007年はプロ4年目。サンフレッチェは再びJ2に降格してしまうが、1年でJ1に復帰すると、2011年と2012年のJリーグ連覇、2015年には3回目の優勝という黄金期を支えた。

 2014年には日本代表としてブラジルW杯にも出場している。プロ入り当初から何度も大ケガに見舞われながらも、そのたびに不屈の精神で復活を果たし、昨年5月にはJ1通算400試合出場を達成した。

 初めて6番をつけたときのことを、こう振り返る。

「クラブから言われて、喜んでつけさせてもらったことを覚えています。6番が空いたタイミングで、めぐり合わせでつけさせてもらいましたが、もう何年もたちますね」

 森﨑和幸の8番や、森﨑浩司の7番のように、引退後も語り継がれる番号となるのは間違いない。もっとも、昨年35歳を迎えたが、プレーを見れば衰え知らず。サンフレッチェ一筋のプロキャリアは、まだまだ続いていくはずだ。

文/石倉利英(スポーツライター)