広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。そこで、昨年特に反響の多かった記事を振り返り、2022年のスタートを切る。

 今回は、鈴木誠也の2021年にスポットを当てた記事を取り上げる。カープの4番……そして、ジャパンの4番。想像を絶する重圧と闘いながら、それでも鈴木誠也は『現状維持』ではなく『進化』することを選択した。迎えた2021年、『進化』はひとつの完成形を見せ、球史に残る偉業を達成した。(2021年11月29日・30日掲載)

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2021年シーズン、鈴木誠也は終盤に成績を伸ばし、キャリアハイとなる38本塁打を記録した。

◆シーズンオフから新打法に取り組み『進化』を目指す

 2021年は、“鈴木誠也”が〝鈴木誠也〟であることを証明した一年だった――。

 プロ4年目の2016年、流行語にもなった『神ってる』打撃で大ブレイク。25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。22歳の『若手のホープ』はその後、カープ不動の4番に君臨し、気付けば『ジャパンの4番』にまで上り詰めた。

 周囲の目はいつしか『打って当たり前』の域になり、自らもその期待に応え続けた。背番号『1』を受け継いで挑んだ2019年には自身初となる首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得。コンスタントに数字を残し『球界屈指の強打者』の座を確固たるものとした。

 しかし、迎えた2021年、鈴木誠也はある決断を下す。

 それが『新打法』への挑戦だ。それまでよりボールを長く見るために軸足に重心を残し、投球の軌道にバットを合わせていく。昨季終了時点で史上4人しか達成していない『5年連続打率3割・25本塁打』を記録していたにもかかわらず、現状維持ではなく『進化』することを選択したのだ。

 もちろん、そこにはリスクも伴う。プロとして培ってきた自らの技術とスタイルを変化させることは、必ずしも好結果に結びつくことを保証するものではない。

 事実、キャンプ中からオープン戦、さらにはシーズンが始まっても、試行錯誤は続いた。昨季の初本塁打は開幕12試合目のヤクルト戦。鈴木誠也にしてはスロースタートだったと言える。とはいえ、この試合で2本塁打を放ち、翌日も第1打席で本塁打を放つなど、量産体制の気配が見えたのも確かだ。ただ、野球の神様はそこまで甘くはなかった。

 5月には新型コロナウイルスに感染する予期せぬアクシデントに見舞われ戦線離脱。その影響もあってか、本塁打のペースもなかなか上がらず、6月終了時点で打率・288、本塁打は10本。決して悪い数字ではないが、『さらなる進化』を目指している鈴木誠也にとっては不本意な成績だったと言っていい。

 しかし、東京五輪が目前に迫った7月。ついにそのバットが火を噴く。シーズン中断までの12試合で5本塁打を記録。打率も一気に3割に乗せ、好調のまま東京五輪本番を迎えることになる。

◆日本プロ野球史上3人目。6年連続3割&25本塁打

 五輪では侍ジャパンの4番として全5試合に出場。1本塁打に終わったものの、日本の金メダル獲得に貢献した。

 野球選手として、ひとつの『勲章』を得た鈴木誠也は、後半戦、その勢いをさらに加速させていく。8月こそ月間打率・277、4本塁打と、やや東京五輪での疲れも見られたが、9月に入ると一気に『確変モード』に。

 9月3日のヤクルト戦・第4打席で左中間に20号本塁打を放つと、そこから9日の中日戦まで6試合連続で本塁打を記録。6試合連続は、王貞治(元巨人)、ランディ・バース(元阪神)の7試合連続に次ぐ、NPB歴代3位タイの大記録だった。

 一時はペース的に微妙かと思われていたシーズン25本塁打にも一気に到達し、打率も急上昇。9月22日の巨人戦で2打数1安打を記録して・31549とすると、DeNAのオースティンをわずか“2糸”だけ上回り、セ・リーグの首位打者に浮上した。

 結局、9月は25試合で打率・381、13本塁打、22打点。32安打をマークして7・8月月に続き、月間MVPを連続受賞。

 開幕前から、新たな取り組みをもとに着手していた進化が、ようやく一つの結果となって表れた。また、この時期の本塁打量産により、首位打者だけでなく、岡本和真(巨人)、村上宗隆(ヤクルト)によるマッチレースが続いていた本塁打王争いにも参戦。シーズン最終盤の10月にも19試合で6本塁打を放ち、キャリアハイを大幅に更新する38本塁打を放った。  

 獲得となれば、初のタイトルとなった本塁打王は惜しくも1本差で逃すことになったが、打率・317、出塁率・433で、自身二度目となる打撃二冠(首位打者・最高出塁率)を獲得。さらに、長打率・639、OPS1・072もリーグトップだった。

 6年連続の『打率3割&25本塁打』達成は、王貞治(元巨人)、落合博満(元中日ほか)以来、NPB史上3人目。リスクを恐れずに進化する道を選択し、球史に名を残す偉業を達成した。

 やはり“鈴木誠也”は、“鈴木誠也”だった――。カープの、日本の4番打者は、これからもさらなる高みを目指すに違いない。今年は、どんなドラマを届けてくれるか、楽しみに見守りたい。

文:花田雪