◆球団史に残るカープでの3年間

 カープではリリーフに専念したが、南海時代のスタイルチェンジを経てのセ・リーグ復帰だったため、久々の対戦となった打者たちはその変化に驚いたという。初年度の1978年は49試合に登板し5勝4敗12セーブという結果を残した。

 続く1979年にはリーグ最多の22セーブを記録。この年、近鉄を相手にした日本シリーズ第7戦では、9回裏に一死満塁の大ピンチを迎えるも後続を断って切り抜け、後に“江夏の21球”と称される名場面を演出した。

 日本一に大きく貢献し、リリーフ投手として初めてMVPを獲得した。翌1980年も21セーブでリーグ最多、チームは2年連続の日本一に。また1979年には2500奪三振もマークしている。

 カープ在籍時にも阪神時代に劣らぬほどの活躍を見せた江夏。本人も後にカープ時代を楽しかったと振り返るほどだったが、1980年オフには大沢啓二監督に請われて日本ハムへ移籍。カープでのプレーは3年のみに留まったが、球団史にも、ファンの記憶にも大きな足跡を刻んだ。

 江夏の後に『26』を受け継いだのは同じ投手の山本和男。ドラフト外入団の山本は左の中継ぎとして活躍し、1984年には46試合に登板、5勝を挙げた。だが清川栄治の台頭で登板数が減少し、1988年にオリックスにトレード移籍となった。

 他に『26』でトピックとなる選手としては、1955年シーズン途中に投手の木村俊一と背番号を交換して『49』から変更となった木下強三がいる。身長167cmと小柄ながら、ルーキーイヤーの開幕3戦目に代打で初打席を迎えると初安打、初打点を記録するなど活躍。広角打法と攻守にわたる、そつのないプレーで翌年にはレギュラーに定着した。

 後年は代打に活路を見出し、カープ代打起用数ランキングで歴代5位(407回)となった。ちなみに上位4人は宮川孝雄(778回)、浅井樹(582回)、西田真二(493回)、町田公二郎(426回)。1965年の現役引退までを『26』で過ごした。