◆40歳でメジャーデビューを果たした本格左腕

 現在までで最も長く背番号『22』でプレーしたのは、1994年にドラフト4位で入団した高橋建。1995年のルーキーイヤーから先発でも登板し、最速150キロの直球と多彩な変化球を武器に活躍。2年目にはウエスタン・リーグながらノーヒットノーランも達成している。

 2001年には先発に本格転向、自身初の2ケタ勝利を挙げた。後年は負傷に悩まされた時期もあったが、14年間プレーした後、2008年オフにFA権を行使してメジャーに挑戦。ブルージェイズとのマイナー契約を経て、メッツで40歳でのメジャーデビューを果たした。

 しかしメジャーでは勝利を挙げることができず、2009年末にはカープ復帰が決定。2010年には再び『22』を背負い、4月には中継ぎで2日連続勝利投手になるなどしたが、結局この年でプロとしてのキャリアに幕を下ろすこととなった。ちなみに高橋が不在だった2009年シーズンのみ、内野手のフィリップスが『22』でプレーしていた。

 高橋の後を継いだのが、2010年のドラフトで2位入団した中村恭平だ。だが期待された通りの成績を残せず、2017年オフに『64』に変更。しかし2019年、プロ9年目にしてキャリアハイのシーズンを過ごす。後半はセットアッパーとして起用され、43試合に登板して0勝1敗12ホールド、防御率2.64の好成績を残した。

 前述のフィリップスを除くと約30年にわたって投手の背番号だった『22』は、2018年の中村奨成によって再び捕手のものとなった。中村は2017年の夏の甲子園で大ブレイク。6本塁打を放ち清原和博が樹立した1大会の個人最多本塁打記録を更新。広陵高を準優勝に導くと、同年のドラフト会議ではカープと中日から1位指名を受け、抽選の結果、地元球団のカープが交渉権を獲得した。

 鳴り物入りで入団したが、経験も重視されるポジションだけに、2年間は二軍に終始。プロ3年目の2020年は春季キャンプを一軍でスタートし、一軍の試合にも4試合ながら出場した。2021年には出場試合を39試合に大きく伸ばすなど徐々に頭角を現しつつあり、今季こそは一軍定着が期待されている。

 主に投手と捕手の間を往復している背番号『22』。この先どうなっていくか、当面は中村奨成の活躍にかかっていると言えるだろう。

【背番号『22』を背負った主なカープ選手】
大石清(投手/1960年-1966年)
宮本洋二郎(投手/1967年-1973年)
水沼四郎(捕手/1974年-1982年)
高橋建(投手/1995年-2008年、2010年)
中村恭平(投手/2011年-2017年)
中村奨成(捕手/2018年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。