『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

今季、シーズン途中から正GKに定着した大迫敬介

◆30年の歴史で背負った選手はわずかに6人。名プレーヤーたちが受け継いできた『38』

 今回紹介する背番号『38』は、サッカーではマイナーな番号だ。サンフレッチェでも過去に6人しか背負っていないが、あらためて振り返ると、クラブ史を彩る選手がつけていることが分かる。

 初代38番は、1998年途中に加入したオーストラリア国籍のDFフォックス。10代後半からアヤックス(オランダ)のアカデミーでプレーしていた若き逸材で、ドイツのクラブを経てサンフレッチェに加入した時点でも、まだ21歳の若さだった。

 名門アヤックスが目をつけただけの才能の持ち主で、185センチの長身を生かしたハードな守りに加え、ボールコントロールが柔らかく、落ち着いてパスをつなぐこともできた。若さゆえに安定感を欠く面もあり、不用意なパスミスで失点に絡むこともあったが、背番号が6に変わった1999年には同胞のDFポポヴィッチ、DF上村健一との3バックで守備の中心選手となった。

 2000年途中に退団してウエストハム(イングランド)に移籍し、その後も同国でキャリアを重ねた。同年には地元開催のシドニー五輪に出場している(1996年アトランタ五輪にも出場)。もう少し年齢を重ねてから日本に来ていたら、もっと活躍していただろうと思わせる選手だった。

 1999年に背番号38をつけたのは、MF森﨑和幸。言わずと知れたサンフレッチェのレジェンドで、当時はユース所属の高校3年生だった。同年、ユース所属のままプロの試合に出場できる2種登録選手となり、38番が与えられた。このとき、同じく2種登録選手となった双子の弟・浩司は37番を与えられている。

 その後に和幸がつけた8番については連載第1回で、浩司がつけた7番については第2回で書いているのでここでは触れないが、38番の和幸もクラブ史に残る活躍を見せた。エディ・トムソン監督に評価され、11月にクラブ史上初めてユース所属の高校生としてJリーグデビュー。ボランチとして安定したプレーを見せ、リーグ終了後の天皇杯でも全試合に出場し、決勝のピッチにも立って準優勝に貢献している。

 森﨑和の背番号は翌年に20番となり、しばらく38番は空き番号だったが、2009年にMF大﨑淳矢が背負った。森﨑和と同じくユース所属の高校3年生で、2種登録選手となったときに38番が与えられた。同年にJリーグデビューを果たし、ナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)ではプロ初得点も決めている。

 翌年から25番となり、Jリーグ初優勝を果たした2012年のシーズン序盤には、負傷離脱したFW石原直樹に代わって先発し、持ち味のドリブル突破などで活躍した。優勝セレモニーで、キャプテンのFW佐藤寿人がシャーレを高々と掲げたときに向かって右横で喜んでいたので、クラブ史を振り返る映像や写真などで必ず目にすることができる。

 2014年にはDF吉野恭平が背番号38をつけた。同年に東京ヴェルディから完全移籍し、当初1年間はサンフレッチェから期限付き移籍する形で、そのまま東京ヴェルディでプレーするはずだったが、予定を早めてシーズン途中に広島に復帰。このときから38番を背負っている。

 182センチの大型だが足技が巧みで、早くから年代別代表で活躍しており、サンフレッチェでプレーを始めたときは19歳。2015年まで38番でプレーしたものの、リーグ戦での出場機会はなく、サンフレッチェでのデビューは23番に変わった2016年だった。京都サンガF.C.への期限付き移籍を経て、復帰後の2019年には3バックの中央で開幕当初に先発出場を続け、堅守に貢献している。

 2016年に38番をつけたDFイヨハ理(おさむ)ヘンリーは、森﨑和、大﨑と同じくユース所属の高校3年生で、2種登録選手。同年9月にはひと足早くプロ契約を締結した。姓が「イヨハ」、名が「理ヘンリー」で、ナイジェリア国籍の父と、日本国籍の母の間に生まれた。

現在はJ2ロアッソ熊本へ期限付き移籍中のイヨハ。サンフレッチェ広島ユース時代には主将も務めるなど、その潜在能力に期待が集まる。

 181センチのサイズ、利き足の左足から繰り出す正確なキックを武器に期待を集めたが、2016年の公式戦出場はなかった。背番号が25に変わったプロ1年目も選手層の厚いチームでチャンスをつかめず、翌年から期限付き移籍での武者修行を続けている。

 FC岐阜、鹿児島ユナイテッドFCでJ2、J3でのプレーを重ね、今季から所属するJ2復帰1年目のロアッソ熊本では、シーズン序盤から多くの試合に出場している。さらに経験を積み、サンフレッチェに復帰できるかどうか注目される。

 そして現在、背番号38をつけているのはGK大迫敬介だ。森﨑和、大﨑、イヨハと同じく、ユース所属の高校3年生だった2017年から38番だが、大迫は2種登録選手とはならず、高校3年生になる直前の同年3月に、すぐさまプロ契約を締結している。

 ユース出身選手が歴史を刻んできた38番を提示されたときの心境を、本人は「プロになって初めて背負った背番号なので、すごく新鮮で、うれしかったです」と振り返る。2年目の2019年に公式戦とJリーグでデビューを果たし、A代表デビューも果たしている。

 翌年からは、30歳代後半となっても健在ぶりを見せつける林卓人とのポジション争いが続き、2020年、2021年は出場機会を分け合う形となった。2021年は、早くから目標としていた東京五輪のメンバー入りは果たしたものの、正GKの座は谷晃生(湘南ベルマーレ)に譲り、悔しい思いをしたに違いない。

 2022年も開幕当初は林が正GKだったが、途中からポジションを奪い返した。185センチの長身を生かしたダイナミックなセーブで、久しぶりのタイトルを目指すサンフレッチェの守備を支えている。

 背番号38も、クラブ歴代最長の6年目。

 本人は「大迫=38番が浸透しているし、思い入れもありますけど」としつつ、「やっぱり1番をつけたい思いはあります。いずれ1番をつけたい」と語る。林の前も、西川周作、下田崇、前川和也という歴代の守護神がつけてきた背番号を、いつ大迫が背負うことになるのか興味深い。