『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

森保一から背番号7を継承した森﨑浩司。2016年限りで惜しまれつつ現役を引退した。

◆日本代表と東京五輪代表の監督を兼任

 前回の連載では背番号『8』を取り上げた。1993年のJリーグ開幕戦で8番をつけたMF風間八宏は、クラブのJリーグ史上初、Jリーグ全体でも日本人史上初のゴールを決めている。

 しかし、サンフレッチェの『公式戦』史上初ゴールは、その8カ月前に生まれている。1992年9月6日、Jリーグ初の公式大会として開催されたヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)の初戦。広島スタジアムで読売ヴェルディ(現東京ヴェルディ)と対戦したサンフレッチェは、25分に背番号『7』のMF森保一が先制点を決めた。

 この年に初めて日本代表にも選ばれた森保は、ボール奪取や的確なつなぎなど、主に守備を持ち味として評価を高めており、戦術面では黒子の存在。そんな7番がサンフレッチェ最初のゴールを決めたのは、のちにクラブ史上初の偉業を成し遂げる予兆だったのかもしれない。

 現役引退後に指導者となった森保は、サンフレッチェのコーチを皮切りに年代別の代表チームなどで経験を積み、2012年にサンフレッチェの監督に就任。監督を務めるのは初めてとあって不安視する向きもあったが、見事な手腕を発揮して同年のJ1リーグでチームを初優勝に導いた。

  さらに2013年に連覇を達成すると、2015年にも優勝し、4年間で3回のJリーグ制覇。黄金時代を築いて監督としてもクラブの歴史に名を残した後、現在は日本代表と東京五輪代表(U-24日本代表)の監督を兼任しており、世界を見据えた挑戦を続けている。