昨年、先発として好投するも、勝ち星がつかなかった約3カ月間の姿。プロ1年目から先発ローテを守り、結果を残し続ける理由。そして素顔ー。この連載では、右腕を間近で見続けたキーマンが回想する、森下暢仁の進化の秘密に迫る。

【キーマンが明かす秘話・善波達也(前編)】

カープ・森下暢仁(今季の春季キャンプで撮影)

 森下暢仁を語る上で、欠かせない人物と言われる善波達也氏。森下の才能を見出した恩師だ。なぜ森下は周囲の期待に応え続けることができるのか。恩師が語る、森下暢仁の魅力とは。

◆「いいチームに入れたなと安心しました」

 善波達也が森下暢仁と出会ったのは、森下が大分商高3年のとき。当時から投げるだけでなく、フィールディングやバッティングでも光るものを持っていた森下の野球選手としての能力の高さ、可能性の高さが善波の心を奪った。

「初めて見た時からプロでも活躍する投手になると思いました。ただ、高校卒業後にプロ入りするのは正直なところ早いと思っていました。大学でいろんな仲間をつくり、大学に進学するからこそできる経験を重ねてプロに入ったほうが、暢仁には合っているように感じました」

 善波が監督を務める明治大に進学した森下は、1年春から登板。リーグ優勝を果たした4年春にはベストナインを初受賞するなど、エースとして活躍を続けた。また、主将としてチームを牽引する役割も担ってきた。

「暢仁はどちらかというとマイペース。自分のことはしっかりとやるのですが、人の面倒を見たりするタイプではありませんでした。これが主将になった途端、変わりましてね。自分のことだけではなく、チームのことを考えるようになり、責任感を発揮するようになりました」

明治大時代の森下暢仁

 2019年のドラフト会議。世代No.1投手とも呼ばれた森下には指名が重複することも予想されたが、結果はカープの単独指名。これは善波も想定していなかった結果だったという。指名直後には、新監督に就任した佐々岡真司が明治大を訪問。その時の森下の姿と言葉は今でも胸に残っていると善波は話す。

「佐々岡監督の話を聞き、暢仁自身も覚悟を決め『自分の可能性を信じてくれた佐々岡監督のために頑張ります』と言っていました。この佐々岡監督との出会いから、良い歯車が回り始めたような気がしましたね。1年目の春季キャンプに挨拶に行かせてもらったのですが、その時の暢仁を見て驚きました。チームメートとすごく馴染んでいたからです。最初はノム(野村祐輔・明治大)がキャッチボールに誘ってくれたみたいで、それ以降も大瀬良(大地)投手などの先輩投手に声をかけてもらったようです。チームメートに恵まれているなと感じましたし、本当にいいチームに入れたなと私も安心しました」(続く)

善波達也(よしなみ・たつや)
明治大で野球を続け、卒業後は社会人野球でプレー。2004年に明治大コーチ、2008年に明治大監督に就任。在任中はチームを合計9回、東京六大学リーグ戦の優勝に導いた。2019年限りで明治大監督を退任。