今シーズンも5月24日から交流戦がスタートした。4年ぶりのリーグ優勝を目指すカープにとって、交流戦の勝敗は、ペナントレースの行方を左右するカギとなるといっても過言ではない。ここでは、カープの過去の交流戦の歴史を振り返っていく。まずは交流戦が始まった2005年からの3年間の成績を取り上げる。

交流戦最下位に終わった2007年。全5勝のうち3勝は黒田博樹があげたものだった。

◆2005年・交流戦11位(36試合11勝24敗1分)

 記念すべき交流戦初戦の西武戦は先発・デイビーが3被弾を浴びるなど、13失点の炎上で大敗。苦しい幕開けとなったが、それでもなんとか5月下旬まではパ・リーグにくらいついていった。

 だが6月に入ると投打の歯車が全くかみ合わず、1日のロッテ戦から5連敗、11日の楽天戦から6連敗。パ・リーグの野球に圧倒され、上位チームと大きく差をつけられていった。

 終わってみれば8チームが5割以上で乗り切るなか、カープは11勝24敗1分で11位(セ・リーグでは最下位)。同一リーグでの順位変動が起こりやすい交流戦でのつまずきは影響が大きく、カープは1993年以来12年ぶりの最下位でシーズンを終了した。

 一方、初代王者に輝いたロッテは、その勢いのままリーグ優勝、日本一を勝ち取っている。

◆2006年・交流戦9位(36試合16勝20敗)

 ブラウン体制1年目の交流戦も、厳しい戦いを強いられた。初戦のソフトバンク戦で新垣渚から12三振を奪われ零封負けを喫すると、直後のロッテ戦で抑えのベイルが左足を故障し戦線離脱。前途多難を予想させる立ち上がりとなった。

 この年に加入したダグラスが交流戦のみで5勝、再び守護神を託された永川勝浩の台頭など好材料も多かったが、全体を通じて見れば投打の歯車が噛み合わなかった感は否めない。期間中の大きな話題として、黒田博樹のFA権取得も見逃せない。球団が宣言後の残留を初めて容認したが、大黒柱の去就はチーム成績と共にファンをヤキモキさせた。

 交流戦に目を戻せば6月15日の敗戦で、2年連続での負け越しが決定。前年と比べ勝率は向上したものの、苦手意識を払しょくするまでには至らなかった。

◆2007年・交流戦12位(24試合5勝18敗1分)

 クライマックス・シリーズの導入に伴い、2007年から交流戦の試合数が削減(ホーム、ビジターで2試合ずつ)。カープは交流戦開幕直前のヤクルト戦で黒田が完投勝利を収め、2005年5月10日以来となる3位に浮上していた。夏場に向け尻上がりにチーム状態が上がっていたこともあり、パ・リーグとの戦いにも期待が集まった。

 ところが、いざ開幕すると黒田以外の投手陣が軒並み崩壊。2005年、2006年連覇のロッテ、2007年の覇者・日本ハムには4タテを許すなど、最後まで波に乗りきれなかった。

 6月20日の日本ハム戦に敗れ6連敗を喫すると、最終戦を待たずして交流戦の最下位が決定。チーム防御率(4.73)、勝率(.217)ともに12球団ワーストとなり、勝率に至っては2005年~2019年までの15シーズンで歴代ワースト2位という不名誉な記録となっている。