5月24日から始まった交流戦。カープは6試合を戦い、1勝5敗と苦戦を強いられている。交流戦の勝敗は、ペナントレースの行方を左右するカギとなるといっても過言ではない。ここでは、カープの過去の交流戦の歴史を振り返っていく。今回は、4年ぶりの単独最下位に沈んだ2011年からの3年間を紹介する。
◆2011年・交流戦12位(24試合6勝16敗2分)
2011年は開幕ダッシュに成功したカープ。4月に単独首位、7年ぶりの貯金5といったワードが取り上げられるなど、明るい材料もある中で交流戦に突入した。
ところが鬼門はやはり鬼門だった。開幕早々に廣瀬純が右足の故障で離脱すると、大竹寛も右手小指骨折で登録を抹消。投手陣もさることながら打撃陣の不振は深刻で、6月3日のオリックス戦でストップするまで、50回無得点というリーグワースト記録をつくり出してしまった。
その3日後には12年ぶりの10連敗も記録。頼みの綱である前田健太、バリントンも交流戦に限っては共に1勝2敗と沈み、投打そろっての不振が順位の急降下を生み出してしまった。勝率はわずか.273にとどまり、4年ぶりの単独最下位が決定。開幕ダッシュの勢いを持ってしても、交流戦の呪縛から逃れることはできなかった。
◆2012年・交流戦6位(24試合10勝11敗3分)
野村監督就任3年目、またしても選手の故障が相次いだ。4月26日には主砲の栗原健太が右肘の変形性肘関節症により戦線離脱。後釜のニック・スタビノアも、6月11日のオリックス戦で右膝を負傷し登録を抹消された。
主砲だけではなく、前日の10日には東出輝裕が右中指を骨折し離脱。前年の例もあるだけに、打撃不振は交流戦に暗い影を落としかねなかった。
投手陣では抑えのサファテが不調に陥った。5月下旬には3戦連続でセーブに失敗。翌月の5日には夫人の体調不良もあり、米国に一時帰国している。ニックの後を継いだ岩本貴裕、新守護神に抜擢されたミコライオらの奮闘がなければ、交流戦を6位で抜けることはできなかっただろう。
なお、この年は巨人が交流戦を制覇。8年目にして初めて、セ・リーグのチームが頂点に立った。
◆2013年・交流戦8位(24試合11勝13敗)
交流戦初戦で4年ぶりに勝利を収め、続く2戦目も苦手のソフトバンクを退けるなど鬼門の交流戦で好スタートを切ったかに見えた。ところが5月29日の日本ハム戦から投打の歯車が狂い、まさかの6連敗。先発陣の大黒柱・前田健太が調子を崩すと、6月5日には借金が10に膨れ上がり、リーグ最下位に一気に転落した。
また野手も開幕から好調だった丸佳浩、廣瀬純が勢いを失い、6月の月間チーム打率は.218とリーグワーストに沈んだ。とはいえ、交流戦終盤には5連勝を飾り、好不調の波が激しい中でも最後に盛り返して11勝13敗という成績を残してみせた。
7月下旬まで連勝、連敗を繰り返すなど狂った歯車が戻るまで約2カ月の時間を有したが、中盤戦までの粘りが16年ぶりのAクラス、球団史上初のクライマックス・シリーズ進出につながった。