約3カ月遅れでレギュラーシーズンの開幕が決まったものの、2005年に導入されたセパ交流戦が導入以来初の中止となった。例年、交流戦の結果がリーグ成績を大きく左右しただけに、今回の中止がペナントレースにどのような影響を及ぼすのか非常に興味深いところでもある。
ここでは改めてカープと交流戦の歴史を1年ずつ振り返っていく。第3回目となる今回は、第1回、第2回に続き、2012年から2015年までの交流戦を単年ごと振り返る。
◆2012年・交流戦6位(24試合10勝11敗3分)【主砲が離脱するも6位で乗り切る】
野村監督就任3年目、またしても選手の故障が相次いだ。4月26日には主砲の栗原健太が右肘の変形性肘関節症により戦線離脱。後釜のニック・スタビノアも、6月11日のオリックス戦で右膝を負傷し登録を抹消された。
主砲だけではなく、前日の10日には東出輝裕が右中指を骨折し離脱。前年の例もあるだけに、打撃不振は交流戦に暗い影を落としかねなかった。
投手陣では抑えのサファテが不調に陥った。5月下旬には3戦連続でセーブに失敗。翌月の5日には夫人の体調不良もあり、米国に一時帰国している。ニックの後を継いだ岩本貴裕、新守護神に抜擢されたミコライオらの奮闘がなければ、交流戦を6位で抜けることはできなかっただろう。
なお、この年は巨人が交流戦を制覇。8年目にして初めて、セ・リーグのチームが頂点に立った。