8月6日に幕を開けた、第104回全国高等学校野球選手権大会。予選を勝ち抜いた49校が、高校野球日本一をかけて甲子園の地で熱闘を繰り広げる。

 ここでは、カープ選手の高校時代を独占インタビューで振り返る。数多くのプロ野球選手を輩出している西東京の名門・日大三高で、1年生から試合に出場してきた坂倉将吾。

 高校3年間で甲子園出場は叶わなかったが、強豪校で学んだことは、カープの主力に成長したスラッガーの心に息づいている。

日大三高出身のカープ坂倉将吾選手

◆高校3年間で一番印象深い試合は、最後の夏の大逆転勝利

日大三高時代は1年時から活躍。高校通算25本塁打をマークした坂倉将吾。

─まずは高校時代のお話から伺います。坂倉選手が日大三高に進学した理由を教えてください。

「日大三高が甲子園に出場した試合を、小さい頃にテレビで見ていたこともあり、ぼんやりと憧れがありました。また、高校を決める際、監督さんや部長さんと話をさせてもらい、ここで野球がしたいと素直に思ったので選びました」

─名門校ゆえに辛く厳しい練習も多かったのではないでしょうか?

「そうですね(苦笑)。日大三高は冬合宿の厳しさが有名ですが、言われている通り、かなりきつかったです」

─冬合宿はどれくらいの期間行うのですか?

「2週間くらいです。僕は2年生のときはケガをしていて冬合宿の練習に参加できなかったのですが、周りから見ていても練習のキツさはひしひしと感じていました」

─冬合宿ではどれくらいの練習量を?

「朝早くから夜遅くまでずっと練習をしています(苦笑)。プロ野球ではなかなかない練習時間だと思います」

─ちなみに朝は何時起きですか?

「5時くらいに起きて、寝るのは23時頃です。毎日の睡眠時間は6時間あるかないかでした(苦笑)」

─すさまじい練習量ですね。プロ入り後、冬合宿にもう一度参加したいと思ったことはありますか?

「ないです。絶対にしたくないですね(笑)」

─では、高校時代で一番印象に残っている試合を教えてください。

「一番はやっぱり3年生のときの夏の大会初戦。佼成学園高との試合です」

─たしかにすごい試合でした。5回に日大三高が5点を先制するも、6回に佼成学園高が8点を奪い逆転。3点ビハインドで迎えた9回裏に4点を奪い、10対9でサヨナラ勝利を収めています。

「高校生活最後の大会でしたし、負けそうだった試合を土壇場で逆転して、なんとか勝つことができたので一番思い出に残っています」

─強豪校として毎年注目されていましたし、坂倉選手自身も有望選手として、メディアに取り上げられることが多かったと思います。それだけにプレッシャーを感じることもあったのでは?

「そういった重圧を感じることはあまりなかったですね」

─残念ながら高校3年間で甲子園出場は叶いませんでした。悔しさも大きかったのではないですか?

「あくまで僕の考えですが、甲子園が全てじゃないと思っています。出場していないからそう言っていると思われるかもしれませんが、甲子園出場だけが3年間の全てではないと思いますね。もちろん出場したかったですし、当然悔しい思いもありますが、それ以上に大きなものを高校生活で得ることができました」

─それはどういったことですか?

「日大三高で過ごした時間、そこで出会えた人たちのおかげで、今の自分があると思っています。僕にとっては、これまでの人生でとても大きな3年間でした。そうハッキリと断言できます」

─2016年ドラフト4位でカープに入団されました。入団会見での「毎朝、四季折々の季節を感じながら散歩をしています」というコメントが印象に残っています。いつから始めた習慣ですか?

「高校2年の冬くらいからですね。ちょうどケガが治りかけた頃です。朝の目覚めがよくなかったので、ちょっとやってみようと思って始めました」

─暑い夏を迎えると高校時代を思い出されますか?

「広島にいるからなのか、あまりないですね。母校の結果も、思い出したときに見るくらいです。ただ、神宮球場に行くと、当時を思い出して懐かしさにふけることがあります」

─坂倉選手が考える高校野球の魅力を教えてください。

「全国制覇に向けて、負けたら終わりの一発勝負の試合が続くだけに、チーム全員で一つになれるのが魅力ではないでしょうか。また、プロとは違う、高校野球ならではの〝熱さ〟もあります。それも醍醐味だと思いますね」

=後編へ続く=

坂倉将吾◎さかくらしょうご
1998年5月29日生、千葉県出身/176cm・88kg/右投左打/捕手/プロ6年目・24歳
日大三高-広島(2016年ドラフト4位)