『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

今季サンフレッチェに新加入したナッシム・ベン・カリファ

◆多彩なポジションで輝きを放った背番号

 背番号『13』は、西ドイツ代表で活躍したゲルト・ミュラーや、J1リーグ歴代最多得点記録を持つ大久保嘉人といったストライカーがつけていたが、GKの『1』のように特定のポジションをイメージさせる番号ではない。サンフレッチェでも歴代の13番は、さまざまなポジションで輝きを放ってきた。

 1997年、固定背番号制が始まった年に13番をつけたのは、ブラジル国籍のMFサントス。前年の6月に加入し、いきなり3試合連続で2得点を挙げるなど攻撃の中心として大活躍した。メキシコではリーグMVPに4回選出されたスーパースターだったが、日本では無名の存在。その後に負傷離脱したものの、復帰した年末の天皇杯で活躍しており、大きな期待を集めていた。

 ただ、この年に就任したエディ・トムソン監督の戦術とマッチせず、5月に退団した。当時はJ2もJ3もなかったとはいえ、他のJクラブが獲得に乗り出さなかったのが不思議なくらいで、利き足の左足から繰り出すテクニックや多彩なキックは、短期間だったが大きなインパクトを残した。

 翌1998年からはMF古賀聡が13番を背負った。1993年のJリーグ開幕当初は鹿島アントラーズでプレーし、ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)を経て広島にやってきた。正確な左足キックや運動量が武器のサイドプレーヤーで、出場機会は多くなかったものの、2000年限りで現役を引退するまでサンフレッチェの13番としてプレーした。

 2001年に13番を受け継いだのは、GK加藤竜二だった。2000年の加入1年目は12番だったが変更し、2001年は2試合に出場している。2002年シーズン開幕後の5月に退団するまでの公式戦出場は、この2試合だけで、在籍期間のほとんどをバックアップとして過ごした。加藤と入れ替わるように2002年6月に加入し、13番をつけたのはFW鳴尾直軌。ジュビロ磐田からの期限付き移籍で、3試合に出場して無得点に終わった。

 2003年からの2年間の背番号13も、FWの松浦宏治がつけた。阪南大から加入して2年間在籍し、公式戦での得点は1年目に挙げた1得点のみだったが、この1点は大きな価値がある。

 この年のサンフレッチェはJ2で戦っており、終盤までJ1昇格を争っていた。第42節のモンテディオ山形戦、サンフレッチェは後半に先制したものの、試合終了間際の89分に追い付かれてしまう。そのまま引き分けだと、残り2試合での昇格が危うくなる窮地。しかし、後半アディショナルタイムに松浦がプロ初ゴールを決め、2-1で勝ったサンフレッチェは、次節で昇格を果たした。

 その後は2005年に田中俊也、1年空いて2007年は田村祐基と、13番はFWがつけていたが、空き番号となった2008年からの2年間を経て、2010年からの2年間はMF高柳一誠が背番号13をつけた。ジュニアユース、ユースを経て2005年にトップチームに昇格してから25番を背負っていたが、13番に変更している。ただ以前から負傷が多く、この年も年末に負傷離脱して、2011年限りで退団した。

 2012年からはGK増田卓也が13番となった。広島市出身で、広島皆実高から流通経済大を経て地元のクラブでプロに。ただ定位置をつかむには至らず、2017年から3年間はV・ファーレン長崎とFC町田ゼルビアに期限付き移籍している。2020年に復帰したが、やはり出場機会はわずかで、2021年途中に再び期限付き移籍し、同年限りでロアッソ熊本に完全移籍している。

 増田が期限付き移籍していた2019年は、DF井林章が13番。増田と同じ広島皆実高出身で、東京ヴェルディ時代は3番をつけた時期が長かったが、この年はMFエミル・サロモンソンが3番をつけていた。エミル・サロモンソンが退団した翌2020年に3番に変更し、2021年途中に清水エスパルスに完全移籍している。

 2022年、当初13番は空き番号だったが、4月にスイス国籍のFWナッシム・ベン・カリファが加入して背番号13となった。2009年のU-17ワールドカップで優勝に貢献し、スイス代表の経験もある。

 誕生日が1992年1月13日のため、これまで所属したクラブでも空いていれば13番をつけてきたそうだ。7月末時点でリーグ戦1得点と、得点数は物足りない面はあるが、献身的な守備、パスやポストプレーで味方を生かす働きで前線の核となっており、シーズン終盤に向けてタイトル獲得への貢献が期待される。