野球界のエリートといわれる道を歩んできた田中広輔は、2014年、野間峻祥、塹江敦哉らとともにドラフト3位でカープに入団。プロ1年目から開幕一軍入りを果たすと、夏場以降はショートに定着し、即戦力の期待に応える活躍でほぼ全試合に帯同した。

 東海大付相模高、東海大、JR東日本……。プロの世界に足を踏み入れるまで、少し遠回りしたかもしれない。だが、着実に力をつけた6年間が無駄ではなかったことは、その後の田中自身が証明している。若手の台頭でショートのポジションを譲る機会も増えてはいるものの、三連覇を支えた田中に期待するファンは多い。

 ここでは、入団直後の2014年に収録した田中の独占インタビューを再編集してお届けする。

都市対抗野球出場回数25回。社会人野球の名門・JR東日本で、1年目から遊撃のレギュラーの座をつかんだ田中広輔。

◆消極的だった大学進学。プロへの思いが“空回り”を生んだ4年間 

ーまず初めに、田中選手の野球人生をお伺いしたいのですが、野球を始めたきっかけを教えてください。

「父が野球をやっていたので、その影響が一番大きいですね。父も東海大相模高の野球部だったので、小さいころから一緒に東海大相模高の試合を見に行っていたんです。なので、ずっと東海大相模高の野球を見ていたから、あの縦縞のユニホームに憧れていました。いろいろと声をかけてくださった高校もあるんですけど、僕の中では東海大相模高に行くっていう選択肢しかなかったんです」

ー何歳の頃から野球をはじめたのですか?

「小学6年生の終わりからボーイズリーグに入りました。最初はピッチャーもやっていたんですけど、自分で素質がないなって思ってやめました(笑)。それで、もともとショートが好きだったので、ショートをやりたいなって思ってショートにしました」

ー高校時代には1年の春からベンチ入りし、2年の春には選抜甲子園大会に出場しました。高校時代に、既にプロ野球のスカウトの目にとまっていたと思うのですが、それでもプロ志望届けを出さなかったのはどうしてでしょうか?

「僕は、中学ときからずっとプロになりたいと思って野球をやっていたのですが、高校の監督と母から『大学だけは出ておいた方がいい』ということを言われたんです。僕と父はプロに行きたいという気持ちが強かったのですが、そういうことを言われてしまったので、悩んだ結果、大学は出ておこうと思って大学進学を決めました」

ーそこで悩んだ結果、東海大へ進学することを決めた決め手というのは、何だったのですか?

「高卒でプロに入っても、万が一ダメになってしまったときに、球団に残れなかったら社会に出ないといけないですよね。そのときのことを考えてですね。社会経験を積むというか、大人になるために4年間大学に行きました」

ー「プロに行きたい」という気持ちが強くある中で、スカウトからも注目され、その中で大学に進学するという選択は、どこかで納得できない部分あるのかなと思うのですが?

「ありました、ありました(笑)。納得できない部分とか、受け入れられない部分とかありました。それまで高校卒業して、プロ野球選手になるっていうのを自分の中で思い描いていて、その通りに進んでいたので自分の中で納得できませんでしたね。言い方が凄く悪いんですけど、今までプロに入りたいっていう思いで本気でやってきていたのに『大学に来ちゃったよ』みたいな。そんな感じでした」

ー東海大も多くのプロ野球選手を輩出していますし、大学に行ったあとでも十分にプロの世界に入れる可能性はあると思います。それでも気持ちはなかなか上向いてこなかったのですか?

「試合に出るようになってからは、ここでもう一度活躍して絶対プロに行くっていう気持ちでやっていました。でもその気持ちが強すぎてしまって、大学4年間は思うようにいかなかったんです」

 =中編に続く=

《プロフィール》
田中広輔●たなかこうすけ
1989年7月3日生、神奈川県出身
右投左打/171cm81kg
東海大付属相模高−東海大−JR東日本−広島(2014年ドラフト3位)
社会人1年目から都市対抗野球大会で若獅子賞を獲得。