2021年12月9日に、世界陸連は『ヘリテージプラーク』を発表し、織田幹雄(おだ みきお/1905年〜1998年)氏が『Legend』部門で選ばれた。

 織田幹雄氏は広島県安芸郡海田町出身。陸上選手時代に、1928年・アムステルダム五輪での三段跳びで15m21を記録し、金メダルを獲得。すべてのスポーツ種目の中で日本初の五輪金メダリストとなっていること、さらに現役引退後も長く陸上界に貢献したことから、今回の受賞に至った。日本では「陸上界の神様」「日本陸上界の父」と呼ばれており、広島広域公園陸上競技場では毎年4月「織田幹雄記念国際陸上競技大会」が開催されるなど、今もなおその功績が讃えられている。

織田幹雄スクエア内1階のホール緞帳の前で笑顔を見せる海田町・西田祐三町長。

 織田氏が今回受賞した『ヘリテージプラーク』は、2018年12月に創設された賞で、世界の陸上界の歴史の中で多大な貢献を果たした個人・団体に贈られるというもの。授賞カテゴリーは「City(都市:複数の国際大会のホストシティ)」、「Competitions(大会)」、「Legend(レジェンド:選手、コーチ、役員)」、「Landmarks(ランドマーク:競技場等)」、「Culture(カルチャー:映像、出版物等)」の4つに分かれている。これまで日本では「Legend」部門で南部忠平氏、小出義雄氏、「Competitions」部門で箱根駅伝、福岡国際マラソン、「Culture」部門で陸上競技マガジンが受賞している。

 ここでは改めて、織田氏の出身地である広島県安芸郡海田町の西田祐三(にしだ ゆうそう)町長に、織田氏の功績、町としての思いについて語っていただいた。

◆海田町の『織田幹雄スクエア』から偉大な功績を発信

ー海田町出身の織田幹雄氏が『ヘリテージプラーク』を受賞されましたが、どのように受け止めておられますか?

「世界陸連からこのような評価を受けるということは、非常に光栄なことだと思いますし、織田幹雄先生も喜んでおられると思います。そして織田先生が海田町出身ということに改めて誇りを感じています。“『ヘリテージプラーク』を受賞された”というこの功績をいかにつないでいくか? ということが今後の歴史につながっていくと思っています」

ー海田市駅前に横断幕を設置されるなど、受賞を讃える動きを展開されています。

「海田市駅はJR山陽本線、JR呉線と非常に乗降者数が多いところですし、多くの皆様に織田先生の受賞を知っていただくには良い場所だと思い、駅前に横断幕を設置させていただきました。ただ、この横断幕はあくまで手段です。この功績・事実をお伝えしていくためには、きちんと命を吹き込んで物事をお伝えしていかなければなりません。私としては、この部分が町として大事だと思っています」

ー2020年4月には海田町に『織田幹雄スクエア』を建設されました。改めてこの施設への思いを聞かせてください。

「この施設では“陸上界の父”と呼ばれている織田幹雄先生のレガシーをしっかりと見てほしいと思っております。『織田幹雄スクエア』という名前にさせていただいたのも、“記念館だけをつくるのではなく、みんなが普段から集まれるような場所を”という意味合いを持って『スクエア』という名前をつけさせていただきました」

織田幹雄スクエア2階には「織田幹雄記念館」が設置され、織田氏のさまざまな功績が展示されている。

ーこの施設にはさまざまな特徴があるそうですね。

「2階には『織田幹雄記念館』が設置されています。ここは陸上競技場のフィールドをイメージした『センターフィールド』で、先生の生涯を紹介しており、その他にも織田先生が残された言葉を解説したコーナーなど、織田先生の生き様をいろいろな角度から見ていただけるようにしています。また、1階のホールの緞帳(どんちょう)は金メダル獲得シーンをデザインしたものですが、照明を落とすと光るような仕掛けになっています」

ーさまざまな仕掛けが詰まっていて、海田町としては織田幹雄氏とともに新たな魅力を発信する施設ですね。

「そうですね。ホールとしては、広島県内にもおよそ2000人クラスの施設があります。海田町では収容人数500人クラスをターゲットにしながらも、100人、200人でも満席となるように、椅子が可動式となっており、人数に見合ったスペースに変更することができます。令和4年10月23日に予定されている織田幹雄氏ヘリテージプラーク受賞記念事業で為末大氏の講演会でも使用します。多くの皆さんにお越しいただいて、織田先生の功績、織田幹雄スクエアというすばらしい施設を知っていただきたいです」

ー近年、海田町の人口は増加傾向にあります。

「子育てしやすい町、自然豊かな町、織田先生の精神を活かした町づくりの結果が出てきていると思います。自然増と言いまして出生数が多いのが特徴です。そのため『孫世代のため』という考え方で町づくりをしなければいけません。織田幹雄先生は『国際人でなく世界人となるべし』と言われています。それは全て平和な社会への貢献から始まります。そういった考え方を基に、海田町の職員たちは一丸となって真心の接遇で町づくりに取り組んでいます。そういうところの端々に織田幹雄先生の精神が入っていると思います」

ースポーツという分野において、海田町としてどのような関わりをしていきたいとお考えでしょうか?

「海田町は、織田先生からの寄付による織田幹雄スポーツ振興基金を設置しています。従来からこの基金を活用してこどもたちのスポーツ振興に役立ててきましたが、海田町は更なるスポーツの発展のため2021年に一般社団法人海田町文化スポーツ協会を設立しました。織田先生の二人のご子息を名誉会長に迎え、スポーツ・文化の発展に力を入れています。いずれ、文化スポーツ協会は海田町総合型スポーツクラブとして生涯スポーツの中核になると思っています。またこの協会の中には織田先生の意思を受け継いだ『織田幹雄陸上クラブ』が運営されており、多くの中学生・小学生が陸上競技を行っています。こうした活動を通じて織田先生の歴史をつないでいきたいと思っています」

ー織田先生の精神を活かして、町を盛り上げていくということですね。

「課題は多岐に渡りますが、町づくりというのは総合的につくっていくことです。織田幹雄先生が『より速く、より高く、より強く』という言葉も残されています。これは海田町役場の執務姿勢にも直結するものではないかと思っています。『より速く』というのは、お客さんが来ても、お待たせしないように、より速くサービスを提供できるようにする。『より高く』は、クオリティの高い、正確性を持ってサービスを提供する。『より強く』は、そういったサービスを、しっかりと皆様の安心、安全をガードしながら実施する。というように、織田先生は、いろいろな関係につながる言葉をたくさん残されていると思っています」